書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

ムシャクシャと怒りの関係

「すごく、ムシャクシャするんです」

先日、コーチングセッションの中で、私自身がふと、口にした言葉だ。

それは、胃のあたりでずっとぐるぐると旋回していたムシャクシャの存在…。

そうか…。
この一言から、私は生まれてからずっとムシャクシャ感に全く気がついていなかったようだ。
いや、もしかすると、あまりにもぶつける場所がなくて、行き場を失ったまま、心の片隅に押し込んでおくしかなく、そのまま忘れ去った存在だったのかもしれない…。

それをもう一度私の心の引き出しから出してみようと思った。

国へのムシャクシャ…。

私が生まれていない何代にも渡るムシャクシャ。
ひとつの民族が、国の政治体制によって、人為的に分けられた「国なき国」を与えられたことへのムシャクシャ。
その国という記号を背負わされたことで、周囲からの偏見・理不尽・冷ややかな態度を示されたことへのムシャクシャ。
同じ土地で生まれたことへの共感は無視され、この存在はなかったことにされる排除のムシャクシャ。
同じ民族であることへの寛容な姿勢はおろか、偏見を前提で悪意ある持論を一方的にぶつけてきた過去の韓国留学生へのムシャクシャ。
日本でも韓国でも私の存在はどこか隅に追いやられ、なかったことにされたムシャクシャ。
日本でも韓国でも偏見、レッテルを通した私しか見ず、私自身への関心は皆無な人間たちへのムシャクシャ。
国への期待が大きかったことへの絶望、悔しさ、やり場のない苛立ちとムシャクシャ。

家庭へのムシャクシャ…。

幼稚園の頃、私の何の相談も断りもなく一方的に韓国名から日本の名前を変えた親へのムシャクシャ。
そして、小学校に上がると、名前を元に戻すということをまた勝手にされたムシャクシャ。

「親」と呼ばれるひとりの人物だけが絶対権威としてまつりあげられ、暗黙の支配、理不尽なこともまかり通る透明な支配者へのムシャクシャ。
あちら側の人間は自分の機嫌や理由なき理由で平気で暴力を振るい、幼稚園ぐらいの子供を身ぐるみはがし体罰を与えたり、家の外に平気で追い出し、誰も見ていないからと暴力をふるい自分のストレスを発散したり、夫婦の不和の理由で一晩中、私たち子供を父親の事務所で待ち伏せをさせ、そんな数々の仕打ちをした人間は平気で忘れる。

毎日、毎日、毎日、毎日…。
なんどもなんどもなんどもなんども繰り返される何十年にも及ぶ夫婦喧嘩。
あちら側は自分の怒りを周りの人間に平気でぶちまけ、こちら側だけがいつも我慢を強いられれ、虐げられなくてはならないのかというムシャクシャ。

そして、こちら側はいつもそんな理不尽な仕打ちを我慢させられなくてはならないのかというムシャクシャ。
都合の悪いことは平気で忘れ、親の権威を未だにふるおうとする人間へのムシャクシャ。

明らかに対等であることが許されない人間関係の構造に対するムシャクシャ。

結婚後もムシャクシャはまだまだ続いた。
結婚したということだけで、私個人について全く何も知らない「赤の他人」が、突然馴れ馴れしく近づき出し、私の空間と時間を侵し、好き勝手に振る舞うムシャクシャ。
私の背景や経緯、個人が何を考えているのかについては何も知ろうともせず、ひとつの側面だけをもって私の全てを知った気になり、価値観を押し付け、一方的に決めつけようとするムシャクシャ…。

ムシャクシャ、ムシャクシャ、ムシャクシャ…。

実にたくさんのやり場のないムシャクシャ。
これが、まるで消化不良のまま、胃のあたりでぐるぐるとまとわり続けていた。

この長い間、培い続けていたやり場のないムシャクシャが、怒りの導火線へと変化し、それが怒りの爆発を引き起こしていたようだ。

私はその人たちに復讐したいのではない(もちろん過去には何度もそんなことも考えた)。

私はただこのムシャクシャを表現したかった。
なぜなら、この行き場を失ったこの想いに言葉をつけて、この想いにもう一度居場所を与えたかったからだ。

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