書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

積み重ねの感情

土曜日。
私にとっての土曜日はもはや休みでもなんでもない。
喧嘩の温床の一日と言えるだろう。

週末の朝。
起きると、彼から「今日の朝ごはんはどうするの」という一言。

私は起きて、朝ごはんを作り、その後片づけをし、掃除をして、彼の洋服を洗濯する…。
片付けを後回しにしていると「なんでまだ動かしてないの?」という心無い一言に何かが壊れた…。

結婚生活を続けて一年数ヶ月。
なぜか土曜日のたびに喧嘩が絶えない理由が一年以上経過し、やっと浮き彫りになってきた。

私が一日中、せわしなく動く姿を見ても、彼は何も見えない、何も聞こえない、何も感じない態度を私にずっと示し続けてきた。

私はこの一年間、黙って観察していた。
彼は一緒に手伝おうかという言葉はおろか、手伝うという行動は全くなかった。

一方、彼は何をしているのかと言えば、ひとり見たい新聞を見て、インターネットを眺め、ベランダでのんびりし、午後はさっさと早めに実家にでかけ、夕方にサッカーへ行き、そして実家でご飯を食べ、のうのうと帰ってくる…。

そんな土曜日を一年以上過ごしているうちに、私は、彼は私のことをまるで透明人間、もしくは感情のないお手伝いロボットのように扱われているような…そんな屈辱的な気分が突然やってきた。

表面上、特段、何をされたわけではない…?
彼はこんな言葉をなんでもないような顔をして言った。

「私が一体、なにをしたの?」

…。

私は思った。
いや、それは、絶対に違う。

彼は「何もしない」「知らんぷりを決め込む」という無関心と無視という態度をこの一年間、私に示し続けてきた。

毎週のように続くこの「無関心」という態度が、私を少しずつ少しずつ、徐々に深く心を傷つけられていたことに気づいた。

私は、夫婦…家庭経営とは、ビジネスのような役割で分担されているのではない。
家庭経営は、お互いの思いやりが土台で成り立っているのだと思う。

そのことを言うと、彼はうるさそうな表情をしてこんな言葉を私に投げつけた。

「じゃあ、一体、どうすればいいの?具体的に言ってくれなきゃわからないよ。」
「やりたくないならば、やらなければいい」

私は耳を疑った。
家庭放棄をする言葉に聞こえた。

自分が考えるべきことをなぜ相手に聞く?
家庭についての無責任な発言。
適当に謝ってその場を逃れる態度。
私はもうそれを見逃すことはできなかった。

私は、この積み重ねの感情の上で、少しずつこの関係にヒビが入り始めていることに気づいた。

同時に私の怒りの沸点は既に臨界点に達していた。

私の心に何が起こっているのかをよく感じてみようと思った…。
小さな私の力をまた借りようと思った。

ーどう感じたの?
私がご飯を作るひとかけらの「誠意」
私が後片づけをするひとかけらの「誠意」
私が掃除をするひとかけらの「誠意」
私が丁寧に洗濯をするひとかけらの「誠意」
私がアイロンをかけるひとかけらの「誠意」
私のこの家庭に対する「誠意」。
私がこの空間を居心地のよいものにしようとする「誠意」。

まるで、このひとつひとつの大切にしている誠意を、なんでもない顔で踏みつけにされているように感じた…。

夫婦が共同で経営すべき家庭を、一人だけ「無関心」「知らないフリ」いう態度を決め込み、私の誠意をまるで無視した。
彼はまるで当たり前という態度でその誠意をなかったことにし、不当な扱いをしていることを彼はまるで理解しなかった。

これは果たして相互に尊敬の念を持っている態度と言えるのだろうか。

私はいつもこの家庭を大切に思っていた。
私はいつもこの空間をとても大切に扱っていた。
だからひとつひとつ、その大切な気持ちを持って、大切に扱ってきた。

でも彼はどうなのだろうか。
相手の度重なる無関心な態度に、私の心は少しずつ冷水を浴びているような感覚に陥った。

果たして相手はこの家庭をどう思っているのだろうか。
ふと、そんな疑問が頭をよぎった。

形にしかこだわっていない。
目に見えるものしか見ようとしない。
そんなことを思った。

そして思った。
私一人だけが頑張ったこの家庭に一体、何の意味があると言うのだろう…。

でもそんな当たり前の、なかったことにする態度に私は、その形の裏にあるひとつひとつの気持ちを粗末に扱われている感じがしていた。

それがとても悔しかった。
それがとても悲しかった。

心が砕かれたようで、そして、キリキリとした胸の痛みが止まない…。

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