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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

心のネジ。

心のネジ。

私は、物心ついた頃から、無意識にこの心のネジを開け閉めすることを学んできたようだ。
そうやって、どうにかしてバランスを保ってきたのではないだろうかという思いが突然やってきた。

生まれたばかりの赤ちゃんの頃…。
それこそ記憶には全くないのだが、この世に出てきたというだけで心細さで潰されそうな、かよわさを持っている赤ちゃん。
だからこそ、かわいさを備え、泣くという方法を取り、大人からの保護を得ようとする。
そうやって生まれた頃から「生きようとする本能」がきちんとインプットされているのだと想像する…。

そして生まれた家庭という土壌の中で、色んなことを見て、聞いて、触って、体験を通して、知らず知らずのうちに、生きようとする本能に基づいて、ネジの開け閉めで完璧なバランスを保っていた。

本来、家庭では幼い頃に心のネジがしっかりと緩んでいる状態を親から与えられるものだろう。
そして、成長とともに少しずつ社会という外での体験から、ネジを締めるということを覚えていくものだろう。

しかし、私が育った「機能不全家庭」という環境に限っては例外だ。
私が指す機能不全家庭とは、家庭内で身体的、精神的暴力が常習化されていること。
他にも、食べること、寝ることなど…人間の基本的な欲求を満たすことができないなど、安全が脅かされる土壌のことだ。

私はこのサバイバルな環境でも「生きる」ということだけを考え、ネジをきつくきつく締めることに必死だった。

私が持っている記憶を辿れば、最悪の悪夢は幼稚園の頃から始まっていた。
あの頃の経済状況はなかなかよかったようで、私は私立の幼稚園に通った。
私立の制服を着て、見た目にはいいところのお嬢さんのような感じ。
それに母親は満足感を得ていたのかもしれない。

一方、日本の幼稚園に通わされた私はと言えば、突然、名前を日本名に変えられたことをきっかけに、ギュッと心のネジを毎日毎日強く締めるようになった。
そして、幼稚園に通った数年間、無意識に心の中で毎日こう呪文を唱えていた。

「他の人に、私の本名が…本当のことがバレてはいけない」

バレれば、私はもう生きていけない。
幼いなりに言いようもない恐怖を感じていた。
しかし、あの時にこのように言語化する能力は皆無で、その想いに寄り添うことはできるはずはなかった。

私にできること。
それは、心のネジをきつくきつく締め続けることだけだった。
私はあの頃からすっかり自分の殻に閉じこもり、自己表現のできない人間が創られていった。
なぜなら、内でも外でも、心のネジをきつく締めっぱなしで、緩める場所などどこにもなく暮らし続けていたからだった。

私の人生に「心を緩める」という概念など存在していなかった。
むしろあの頃は、緩めることはより私自身を不安にさせていたのかもしれないと思うのだ。


あの頃の私は、確かに無力だった。
あの頃の私には、なんの選択権もなかった。
あの時の選択は全て親という外の存在に委ねられていた。

今までであれば「幼かったので仕方ない」「まぁ、それも全部過去のこと。過ぎ去ったこと」と言って片付けていただろう。

でも、今はそうじゃない。
今は…その切り捨ててしまったものをもう一度拾い上げ、その奥にあるものをじっとじっと、静かに眺めていた。





それはとても長い沈黙と静けさだった。







すると、こんな感情がとめどもなく溢れてきた。









その頃の、いじめられても何も言い返せない悔しさ。
その頃の、自分の幼すぎる無力さと虚しさ。
その頃の、自分の無力さに対する不甲斐なさ。
その頃の、人はいるのにひとりぼっちの深い寂しさ。
その頃の、言葉にすることができないもどかしさ。
その頃の、誰もこの気持ちを理解しようとも、寄り添ってもらえぬ深い孤独。
その頃の、親の無関心や、誰も寄り添ってくれない深い悲しみと恨み。

そんなつもりにつもった気持ちすら、全部、全部、なかったことにするしか方法がなかった深い、深い悲しみ…。



とても静かな沈黙の中、思いもよらぬ感情ともう一度繋がり直し、それが、言葉という形となり、次々とエネルギーとして溢れ出す。
そして、こうして改めて言葉にしてみると、あの頃の私は、本当は色んなことを深く深く感じることのできる感情豊かな子だったと知った。


そして、今こうしてこの感情に深く触れることができたからこそ、見えてくるものがある。

これも全ては「生き残るため」だったこと…。
私は、生きるために必死だったんだ…と。
私は、この感情にフタをしながら、無表情を装いながら、誰よりも一生懸命に生きていたのだと言うことが。

今ならば、もっと私と深く繋がっていることが実感する。

この流れている涙が何よりもの証拠だ。


そんな色んな想いは今の今まで、ずっと忘れ去ったように思っていたが、それはずっとずっと今なお、きつく締めたネジの奥に留まり続けていたんだと知った。

今思い返すと、「忘れた」というのは、実際のところは一時的なごまかしであって、実のところは、心のネジをきつく締め、きつくした分だけ、心の奥の奥の方にしっかりと刻み込んでいたのだ。

ネジを緩める術を知らずきつく締め続けていた私が自分に与えるようになったこと。
それは、とても冷たく、厳しく、無表情、無関心だった。

そんな人間に徹しているうちに、果たして自分が何が好きなのか、どんなことを好んでいるのか。
そんなことすら何も感じることもできなくなった、無感覚な人間となっていったのだった。

そうやって、自分が果たしてどんな人間だったのかすらまるで分からない、記憶喪失の人間が出来上がった。

こんないびつな形をまとった私という花の根っこは、深い深い冷たさと厳しさの中で長い間、育まれていた結果だったのだ。

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