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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

もともとあったものを受け取る

要らないものを取り払っていく日々を続けて、いつの間にか二年が過ぎた。

始めはとにかく心に響かないものは捨て続けた。
そうすると、ずっと住み慣れた場所も捨てることになった。
じきに、心に響かない人との交流も捨てた。
連絡先を消そうと消すまいと、もう私の心にはなかったのであれば同じことかもしれないが、私なりの儀式として、形ばかりの連絡先をどんどんと消した。

そうすると、罪悪感とすがすがしさが私の中でしばらく同居してた。

それはどういうことかと言うと、私の頭の中には「あなたはなんて冷たいの」や、古い常識を武器にした言葉がわたしの頭の中からずっと流れ続けているようだった。
それはしばらく頭から離れなかった。
こうやってある側面のわたしは罪悪感を植え付けるような言葉で元に引き戻そうとして、なんどもなんども心の綱引きをしていた。

この上ない寂しさや侘しさもやってきたが、同時に嘘偽りないのびのびとした感覚もやってきた。

激しい虚しさもやってきたが、誰も私のことを知らないこの環境にワクワクもしていた。

どちらも本当に正直な感覚だった。

一年ほど、こんな両極端な考えは私を混乱させ、アップダウンの激しい期間だった。
旦那との喧嘩も絶えなかった。

私は生まれて初めて、死にたいという感情が私の中にあったことを知った。
今、夜中に泣きじゃくりながら夢中で何度も何度も「死にたい!」としきりに叫んでたことを思い出している。
それを思い出すとまた涙が出てくる。
でも、それもまた、私の本音だったのだと、いつの間にか「死にたいと思っている私」を受け止められるようになっていた。

そんな風に、初めはかなりの力で制圧されそうになったが、ある時を境に、もう後ろは振り返るのはよそうと、その綱引きからスッと手を離した。

そして私は、その綱引きで費やしていたその力を、今のわたしにとって本当に必要なものだけを再検討するための時間に充てるようになった。

それは、怖いぐらいに静寂な時間だった。
私はその時間から何度も逃れたくなった。
逃れるための常套手段と言えば、インターネット・テレビ・くだらないおしゃべり。
もうそれにも気づいてしまっていた。

本当に逃げ場がなかった。
私は観念するしかないな…と初めて降参した。

そうすると、見事に空っぽになった。
空っぽの静寂がずっと続いていた。

あぁ、もともとはこの静寂から私は生まれたんだった。
そんなことが感じられた。

そうすると、毎日の生活もどんどんと簡単になっていった。

退屈やつまらなさという居心地の悪さと、いつでも私の思う通りに過ごせる心地よさが同居していた。

今はどちらもそうなんだと思っている。
それはそれでいいんだなと受け入れるようになった。

そんな毎日を過ごしていると、もともとあったものなのに目もくれなかったものが目にとまるようになった。

それは当たり前すぎる日常に隠されていた、たくさんのサプライズだった。

「育てる達成感と悦び」

「生き生きとした生命と個性」

「素晴らしい色彩」

「秋を知らせる色彩」

「素晴らしく完璧な調和」

「無限の生命と豊かさ」

「繊細で奇跡的な生命」

「ただまっすぐにじぶんを生きる輝き」

「生命の悦び」

初めからここにあったもの。
それを受け取る準備が整い、その感覚をうけとる時期がやってきたようだ。

「感じる力」をもう一度、私にプレゼントされた気分だ。

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