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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

深い静けさの底にあったもの

旦那が出張に出かけ、今週はわたしひとりの世界。
何をするにも自由な世界。
オーストラリアに来てから、驚くほどの静けさにやっと慣れたところだが、ひとりになると、より深い静けさに包まれる。

すると、無意識に何かをしようとせかせかしているわたしが出てきた。
時間の中に無理やり何かを詰め込もうとするわたしがいた。
なぜ、こんなにもすることがないことでそわそわ、落ち着かない感じがするだろう…。
そっとこころに尋ねてみる。

すると、昨日の夜、寝る前の沈黙の中、こう、そっと囁く声がやってきた。


『わたしは、とてもさみしいの』


その時、わたしひとりぽつんとひとり取り残された小さなわたしの姿が見えた。
信じられる大人が不在な環境で、わたしはずっととても寂しがっていたことを感じられる隙間がなかったんだ…。

あぁ、そうだった。
わたしはとても寂しがってたのに、その寂しさを感じちゃいけないと信じてた。
なぜ感じちゃいけないのかとまた尋ねた。

すると、こんな答えだった。
あの時、兄弟が四人もいるのに、わたしだけが残された。
その瞬間「わたしだけがひとり、いらない子なんだ」と信じたからだった。
それと同時に、それを寂しいと感じたら、わたしは負けてしまうと思った。
負けてしまうことは、わたしはいらない子としてこの家庭で生き続けないといけないと思った。
そんな辛く惨めな思いをしたくはなかった。
それだけはどうしても避けたかった。
そんな自尊心を砕かれることにはなりたくなかったのだと思う。
そんなことから自分を守りたくて、寂しさを感じることを強く禁じたんだった。
そこからわたしはずっと、この「寂しさ」の代わりに何か別のもので埋め合わせて続けてきたんだった。

じゃあ、今のわたしはどうしたいのだろう?

もう過去に囚われ続けて生きるのはやめたい。
寂しさは寂しさの居場所を充分にあげたい。
寂しさを別のものと埋め合わせするのはもうやめて、寂しさを寂しさとして充分に感じさせてあげたい。

この想いにも、居場所をあげたい。
どんな想いにも時間と空間の居場所をあげたい。
それが、今のわたしの心からの望み。

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