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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

願いと通過儀式

それは、幼稚園ぐらいの頃からだったように思う。

色んなことが辛すぎて、辛すぎて、辛すぎて。
色んなことで心が痛んで、痛んで、痛んで。
色んなことでちっちゃくなって苦しんできて。
色んなことで悲しくて、悲しくて、悲しすぎて。

そんな日常を過ごしてきた小さな私。

あの頃の、小さな私の器はまだとても小さくてそしてとても脆かった。
そんな小さな器には、もうそれを受け止めるスペースが全く残っていなかったのだろう。

そんなある日、小さな私は、もうこのエネルギーを感じることをやめたいと心の奥底で強く願った。
そうすれば、この心の痛みも全部、忘れられるのではないのかと思った。

すると、いつの間にかその願いは聞き届けられていたようで、その場その場の痛みは消えたように思えた。
これで、どうにか日常生活はやり過ごすことはできた。
けれども、それは苦しみや痛みと同時に喜びも一緒に奪われたことは随分とあと…二十年ほどの月日が経ってから気がつくことになった。

何も感じない日常。
無機質な毎日。
機械的な行動。

この平坦すぎる道は何よりも安全ではあった。
でも、そこには始まりも終わりも分からない、無限の無感覚の時間が佇んでいた。

それは私にとっての「地獄」だった。
それは私にとっての「死」だった。

そんな無感覚をどうにかしたくて私はもがいていた。
そうやって刺激を欲する道へと儀式迷い込んだ。
消費、友達とのバカ騒ぎ、お酒、タバコ、恋愛…。
一時的な刺激はその瞬間で終わり、その後にはもっと大きな退屈という苦しみが待っていた。

皮肉なことに、小さな頃の私が望んだ願いによって、今の私が苦しめられていた。

そんな二十年後の私は、また強くこう願った。

『私に宿っていた感じる力を元に戻してほしい』

すると、その願いは思いもよらぬ方法でやってきた。

国、人、環境、仕事、名前、生活習慣、好み…。

今までの私がひとつひとつ纏っていたものを根こそぎ剥がされたようだった。

それはまるでもう必要のなくなったかさぶたが剥がされるような感覚だった。

その経過はまるで、ずっと慣れ親しんだものから離れる不安に苛まれ、狂いそうだった。
その経過はとても混沌としていて、それはまるで荒波の中で何度も溺れ死んでしまいそうな、そんな感覚が幾度となく訪れた。

抵抗するだけしたら、もう疲れ果ててしまった。
こんなに疲れるのであれば、いっそこの荒波に溺れ死んだらいいと考えた。

そうやって私は一度、死んだのだと思う。
今までの私を、私の手で殺した。

そうやって一年が過ぎたようだった。
荒波はいつの間にか、穏やかな凪に変わっていた。

しんとした、静かな時間が流れ続けた。

すると、ゆっくりといきいきとした感覚が顔を出した。

まるでその瞬間、瞬間を感じるような。

あとにも先にも今だけのこの感覚がやってきた。

嬉しい時は嬉しく感じ。
怒りたい時に思いっきり荒れ狂い。
悲しい時はとことん泣き崩れ。
楽しい時は満面の笑みを。

それを全部ひっくるめて受け止めたい。
それが、私の新たな願いだった。

今までの過程は、まさしくその願いを実現させるための、生まれ還るための通過儀式だったのかもしれない。

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