書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

【3/10】小さな私と今の私との対話記録

過去の出来事が本当の意味で過去になる時。
それは、何を言っても許される安全な環境を確保した上で、自分が今だと思うタイミングを選び、恐怖で一時停止になってしまったままの状態から、もう一度、自らの手で再生ボタンを押し、再体験をしてみる。
そこで溢れてきた怒りや悲しみの感情が涙の水となり、過去として洗い流されていくのかもしれない。

★場面
『韓国留学中のこと。私は日本で生まれた韓国人だったが、韓国では在日韓国人のことを知る人が少なく、ない存在のように扱われた。
また、ネイティブのように流暢に言語を話せないこと、日本で生まれたこと、朝鮮学校に通っていたなどの背景が違うとことでレッテルを張られ、否定的な目で見られた。同じ民族の人ということで期待を膨らませていた分、余計に悲しかった。』

★感情レベル(悲しみ)…10

ー何が悲しかったの?
私は日本でも、家庭でも受け入れてもらえない存在だと思ってた。
だからね、韓国でならもしかしたら認めてもらえて、受け入れてもらえるんじゃないかってとても期待してたの。
でもね、ここに住む人たちはね、ちょっとした違うところばっかり探すの。
少しでも違えば、すぐに否定する空気が蔓延している。
共通点を探そうとしないでね、違いばっかり探そうとするの。
言葉はしゃべれるけど、コミュニケーション方法も違うからなんだか居心地が悪かった。
なんだか冷たい感じがして、嫌だなって思ったの。
それにそんな人たちに合わせるのも疲れてた。

私は…ずっと日本では日本人じゃないと仲間外れな感じがしていた。
そして母国である韓国に行っても、「在日韓国人」という存在はまるでいなかったことにされていた。
私はそれがすごく悔しかったし心が痛かった。
私の存在はなんなんだろうと思い、自分もまた強く自分の存在を否定してしまっていた。
家庭だけでなく、国でさえも私の存在を否定するのかってとても悲しかったし、それは怒りになった。
私はその時、家庭にも国に絶望して死んでしまいそうだった。

ーそうだったんだね、辛かったね。
日本での家庭も居場所がなかったけど、韓国留学中はもっと孤独だった。
この状況を理解してくれる人がいなくてすごく寂しくて、受け入れてくれない環境にい続けるのは本当に嫌でたまらなかって。
耐えきれずに、怒りで腰痛まで体にでちゃった…。
そのぐらい怒りを溜め込んでいたの。

ーそこまで辛かったんだね。怒ってたんだね。
うん、もうどうやって日本に帰ったのかも忘れちゃった…。
留学もつかの間で帰国して「日本に戻った失敗した人間」って自分をすごく責めた。

ーそうだったんだね。大変だったね…。じゃあ聞きたいんだけどね、私は、韓国に留学することで、何を得たかったのかな?
居場所…かな。
両親と自分の家庭にはもう絶望していて、いつからか民族が自分の居場所になるんじゃないかって思うようになってたの。
両親は私のことは無関心でちっとも見てくれないから、韓国という「母国」は私を受け止めてくれるかと思ったんだと思う。
あの時はそんなことしか思いつかなかったから。

ーそうか、そうやって頑張って居場所を探し続けたんだね。
うん、でもそれも韓国に行ってからすぐにここじゃないって分かった時はすごく絶望した。
両親も、母国も違う。
じゃあ私は一体これから何を頼りに生きていけばいいんだろうって。
もう先が真っ暗だったんだよ。

ーそうだったんだ、先が真っ暗だったんだね。
希望がなくて生きることほどつらいことはなかった。
一体どこへ行けばいいんだろうって。

ーこの体験で何か得られたことはあった?
日本とか韓国とかね、ひとつの民族という環境は、ひとつだけの価値観に人が合わせて生きることを無意識に強いられて、私には居心地が悪いことがわかったの。
韓国に住んでみてね、日本よりももっと息が詰まる感じがした。
あの時、まだ日本は韓国よりましだったんだってことは分かった。
ただ、本当はどちらも私には居心地が悪かった。

ーそうだったんだね。
じゃあ、今は何が私自身の居場所だと思うの?
おねーちゃんだよ。
今のおねーちゃんがオンマ(お母さん)になってくれてね、この小さな私を認めてくれていたらそれがもう居場所になっているの。
いつも関心を持って見てくれて、声をかけてくれて、触ってくれて、聴いてくれて、そして行動してくれるとね、そのひとつひとつがすごく嬉しい。

ーそうか、自分が居場所って何だか心強いね。
うん、そしたらね、どこに住んでるかとか、誰といるとか、何をしてるかってのはどうでもよかったんだって思うんだよ。

ー本当にそうだね。
今日もね、私の大好きなホットケーキ焼いてくれて嬉しかったよ。
オレンジジュースもおいしかった。
今日もお外でたくさんお散歩してね、お日様に当たって気持ちよかったの。
ありがとう!!!

ーそうか。おいしかった?また作ってあげるね。お昼はちょっと失敗しちゃってごめんね。
大丈夫だよ。おねーちゃんが作ってくれたら、なんでもおいしいの。
おねーちゃん、ありがとう!

ー他に何か言っておきたいことはある?
もっともっとたくさん遊んでね。
あとね、今はおねーちゃんはお外でお日様にあたるのがとても大切だから、毎日、お外に行こうね。

ーうん、分かったよ。
(ニコニコ)

★対話後の感情レベル…3

★気づき
「私自身が居場所」
とても力強く心強い言葉が、じんわりと暖かく感じて嬉しかった。

20代の頃…あの頃の私は家庭に居場所を見出せず、周囲が就職活動でそわそわとしている中、その「みんなと同じ」という集団行動の波に乗れず、ひとり取り残された感じがしていた。
たまたま私は在日韓国人だったということもあり、日本での家庭から離れて、母国に居場所を見出そうと必死で、留学のチャンスを掴んだ。
あの時はそうでもしないと生きていけないと強く思っていた。
しかし、いざ期待を膨らませ訪れてみれば、理想と現実のギャップに叩きのめされ、家庭にも母国にも希望を見出せないことにとても絶望していた。

こんな紆余曲折や絶望をしながらも、私は今の今まで頑張って探し続けていたんだなぁと何だか自分に感動した。
なんて勇気があるんだろうと思った。

今は、「私自身が母親」という観点で、小さな私を育てるつもりで、掃除をしたり、洗濯をしたり、何が食べたい?などと丁寧に話しかけながら日常生活をひとつひとつ過ごしている。
そうすると、体と心がきちんと繋がって行動しているという実感がある。
そうやって育てていくうちに、今の私自身もまた救われてきていることを実感している。

韓国の留学で体験した苦い経験を通して、私が本当に欲しいものは何?ということを無意識に問いかけながら、行動していたのだと思う。

とても強い痛みだったので、またこれを書きながら回想していると涙が止まらない。
でもこの涙はきっと、癒されてきた証だと今はハッキリと分かるのだ。

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