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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

忘れられた古傷

血を流し続け、それはやがて止まり、いずれかさぶたになって傷は剥がれ、そしていつしか消える。
その過程が癒しとも言えるのだろう。
それは心も全く同じで、そのひとつの痛みがなくなったかと思うと、その奥にまた潜んでいた、えぐれたままの古傷と出会うことになる。

この一年間、ブログで書いた内容は、主に母とのエピソードだった。
まずはとても分かりやすい傷の心の内を話し、書きながら癒えてきたような感じがある。

それがひと段落しつつある今、私は目を背けていたえぐれたままの古傷と対面することになった。
蓋をあけたくなかった傷との対面。

それは「父親」だった。

母との傷の奥にずっと隠れていたのは、父親像の理想と現実の格差に絶望していた心の傷だった。

「無関心」
「支配的」
「威圧的」
「怒りの爆発」
「尊重されない」

父親と接しているといつもこんな無言のメッセージを受け取っていたように思うのだ。

子供への関心は皆無で、何か言葉をかけられたのかは全く記憶にない。
勉強も頑張っても褒め言葉なんてかけてもらった記憶がない。
夫婦喧嘩をした時、子供を放り出して逃げ出すのはいつも父親だった。
母が苦しんでいるとき、父は母と向き合わずに何度も何度も逃げるか、無視した。
高校の頃、アルバイトで貯めたお金をたった一言で何の悪びれた様子もなく持っていった父親に失望した。
口を開ければ出てくる言葉は、自分だけが正しいような口調で人を見下してばかりだった。
気分屋で、ある時は母親をもう捨てると一方的に宣言し、お前らでどうにかしろと恫喝された。
かと思えば、俺しか母親を見れないからなと全くもって支離滅裂な言葉に不信感を持った。
金銭的な利用価値があれば、家族であろうが利用しようとする姿は見ていて情けなかった。
お金のことは徹底的に隠し、誰も信じてない姿は見てて悲しかった。
会えば陰で母親の悪口ばかりを聞かされ、本当にうんざりした。
話せばすぐに怒鳴り、小さな私はいつも緊張し怯えていた。
その緊張は極限に達し、小さな私は怒り狂っていたのだ。

だから…。
私はもうこの父親の娘をずっとやめたいと思っていた。
本心はずっとこの父親を捨てたいと思っていた。

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