書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

いないことにし続けていた存在からのメッセージ

心を観察し、光を当てているうちに私はあまりにも当たり前で、そして明らかな大前提を否定していたことに気がつき、そんな自分に驚いた。

それは、38年間、片時も離れず寄り添い続けてきたこの自分という存在を完全にもみ消すためにエネルギーを費やしていたということだった。

存在している者をまるでいないかのように扱う。
それは今の私にとっては最大の自分いじめだったということにずっと気がつかずにいた。

その「いじめ」はとても大きなエネルギーを必要とした。
だから私は全身全霊をかけて自分を消すための努力をし続けた。

仮にこの存在がないのだとすると、当然ながら私の中に常に生まれ続けている喜怒哀楽も感じてはならないという命令を下さなければならなかった。

そんな風に感じることを止めたまま生きることは、まるで私の中の心の空間に、その頃その場で感じたがっていた喜怒哀楽が我慢した分だけ所狭しとギュッと詰まったままで、それでもまだこれでもかとずっと詰め込み続け、それを無理やり閉め切り、鍵をかけた秘密の倉庫のようだった。

なので、それはちょっとした場面で心が振動すると、まるで雪崩のように怒りと涙が溢れ出し、それはしばらく止まらなくなった。
それをある時は見たくなくて、そのきっかけとなった人を悪者扱いしたりもした。
そうでもしないと心が辛くて、心が痛すぎて死んでしまいそうだったからだった。

それでも怒りと涙がひとたび過ぎると、なんだかとてもスッキリしたのは心に空間が出来たからだった。
でも、私はそのできた空間に、また我慢と怒りと涙をできる限り奥の奥へと詰め込み続けた。

そうやって私の心はいつしか常にオーバーフローの状態のまま生きる習慣が身についてしまっていた。

それでも私はそれを止められなかった。
なぜならそれが、小さな私にとっては生きるために必要なスキルだったからだ。

家を突然、追い出された時。
親になじられ、怒鳴られた時。
親に殴られた時。
親に身ぐるみはがされた時。
夫婦喧嘩が夜中まで続いた時。
親から脅迫の言葉を言われた時。
夫婦喧嘩の仲裁のために外に追い出され、親を探しに朝まで彷徨った時。
親から理不尽なことで怒鳴られた時。
友達から無視された時。

小さな私は、突発的に起こる危険な場所や状況や痛みを回避するため、自分の存在を消し、感情をなかったことにすることで、自分を守ろうと必死だった。

こんな風に自分の存在と感情を消し、我慢して隠し、相手に合わせるスキルを生活の中で身につけ、生き延びようとしていたと分かった。
なぜならば、あの頃の小さな私は本能で生き延びたかったからだと思う。

そして今その家庭から離れてもう二十年近く経つというのに、私のこの習慣は何も変わってなかった。
私は体にすっかり染み付いたそのスキルの存在すら忘れてしまい、無意識の習慣のように使い続けていたようだった。

家を出てしばらくすると、自分には何かが欠けている、何かが足りないと思うようになった。
親の穴埋めをする必要がなくなると、心がぽっかりと空いてしまい、何かをせずにはいられなくなっていた。
私はいつしか自分以外の誰かや何かの穴埋めを自ら探すようになっていった。

そんな不健全な発想から仕事にのめり込んだり、お酒、タバコ、買い物、恋愛など…手当たり次第何かで埋める必要があった。

「心がぽっかりと空いてしまう」
こんな経験をまるでしたことがなく、ずっと不安だったのだと思う。

それが依存症や共依存の心の根っこだった。

親から離れ環境が変わったにも関わらず、私は必要なくなった習慣をずっと握りしめ、皮肉なことにそれが自分自身を苦しめることになっていた。

そのスキルはすきあらば未だに両親や会社や知人に利用されていたことにやっと気づいた。
いや、本当は私自身が利用されることを望んでいたことを相手は無意識に感じ取ったのだろう。
そんな両親は未だに家族間で揉め事や葛藤が起こるたびに、私を通して相手の気持ちを伺うような存在として、また仲裁役として利用するようになっていたとハッキリと分かった。

過去に傷つけられ続けたことは私の責任ではなかった。
そして、自分以外の誰かの心の埋め合わせをすることも私の仕事ではなかった。

今は、私が私自身の心を癒し、私が私の心が欲するものを満たしてあげることはを、まさしく私自身の責任だった。
私はそれをずっと回避し続けていたようだ。

時折出てくる嵐のような怒りや泣きたい気持ちは、小さな私が「私の小さい頃に我慢し続けたこの気持ちを見てよ!」と、小さな私が私の身体を通してしきりに訴えていた。

だから今はこの古くなった心のしこりを抑えることなくすっかり吐き出させてあげたいと思う。

そして、恐怖から逃れるためではなく、自分が心から望む人生に向かって生き直したいという本音のメッセージがちらりと顔を覗かせてくれた。

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