書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

本当に欲しかったのは…

時間とお金の自由を手に入れると、静かな空間に覆われるようになった。
その静寂に身を委ねているうちに、私自身が知りたくもない、そして、他の人に知られたくもなかった密かな思いが自然と出てきては、それと向き合わざるを得ない状況が今もずっと続いている。

もう逃げ道はなかった。
もう観念するしかなかった。

本当は。
私にはなんの夢や希望なんてものは、はなからなかったんだった。
やりたい仕事だとか、なりたい人や、やりたいこともなにひとつなかったんだった。

そんなことよりは、
傷つかないためにはどうすればいいのだろう。
痛みを回避するにはどうすればいいのか。
どうすればこの恐れから逃れられるのか。

「小さな私」はいつもそんなことで頭がいっぱいだったんだった。
「逃れる」という動機でしか行動することしか分からずに育ったんだ…。
当然ながら、そんな「小さな私」に好きなことを考えたりしたりという隙間なんてどこにもなかった。

そんな「小さな私」が、三十年以上たったある日突然「好きなことをして仕事をしよう」という考えを言われてショックを受けていたんだ。
今までの自分のやり方を全否定されているようで悔しくて悲しかったんだ。
でも本当は。
ずっとずっとそうしたかったんだ…。

今まで、逃れるという動機で得た結果は、得ても不安がつきまとった。
それがたとえ周りに認められようと、その喜びは一瞬で消え去ってしまった。
まるで自分とは全く違う人のことを見て評価されているような感じがしていて不安だった。
そして、こんな偽りの日々が一体、いつ終わるのだろうかとぼんやりと考えていた。

それらは、本当に私が欲しかったことではなかったことをどこかでは知っていたからだった…。

本当はこんな不自然なことを全部早く手放したかったけど、逃れる癖はなかなか抜けず、また、そんなことをずっと認められずにいた。
もし、それをひとたび認めてしまえば、私の中に眠り続けていた「私は社会からなんの価値もない」ということが露呈してしまうことがとても怖かったからだった。
価値がなければもうそこでは生きていけないと思っていた。
親や他の人に説明する正当な理由がないといけないと思い、そんな思いにすっぽりと覆われ不安でいっぱいだった。

さかのぼれば、それはやはり家庭に辿り着いた。
私の育った家庭は不安だらけだった。

いつ喧嘩が始まるのか不安だった。
いつまた殴られるか不安だった。
いつまた怒鳴られるのか不安だった。
いつ見捨てられ追い出されるのかで頭がいっぱいだった。
いつまたお金をせびられるのか不安だった。
いつ無視されるのか怖かった。
いつまた親に罵倒されて、否定されるのか不安でいっぱいだった。
いつまた親に心無い言葉に傷つくのかが怖かった。
いつまた意見を強要されるのか不安だった。

私は心を失い、うつむき、ただじっと日陰の世界で黙って生きるしかなかった。
それは不安と恐怖の世界だった。

でも本当はずっと。
本当に欲しいものを欲しいとはっきりと言いたかったんだった。

本当の喜び。
本当の愛。
本当の希望。

それを知りたかった。
それをずっと感じたかった。

『あなたの本当に欲しいものはなに?』

すると、またあの時の小さな私の声がとめどもなく溢れてきた。

あなたが生まれてきてくれてよかったと、この存在を認めてほしかったんだよ。
もっとゆっくり眠れる安全で静かな家で過ごしたかったんだよ。
もっと自分を必要としてくれる居場所が欲しかったんだよ。
もっと優しくして欲しかったんだよ。
もっと褒めてほしかったよ。
もっとみんな笑っててほしかったよ。
もっと静かに過ごしたかったんだよ。
もっと楽しく過ごしたかったんだよ。
もっと抱きしめて欲しかったんだよ。
もっと愛してるって言ってほしかったんだよ。
もっと尊重してほしかったんだよ。
もっと家族で仲良く過ごしたかったんだよ。
もっと甘えたかったんだよ。
もっと暖かい言葉をかけてほしかったんだよ。

「小さな私」はずっと待ちわびていた。
ただ彼女は、こんなささやかな、あまりにも当たり前の光をずっと浴び続けたがっていただけだった。