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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

一発逆転などない、たゆまず見つめ続ける道。

ここ数年間、テレビの世界からエスケープした私は、まるで長い間の洗脳から目が覚め、私自身の感覚が急に私の手に戻ってきたような感じがする。

巷に溢れている広告のキャッチコピーたち。
その裏側には「これさえ手に入れれば一発逆転」「これさえ手に入れれば私は成功した人」「これさえ手に入れれば自信が持てる」といった手軽で簡単に手に入れられるという誘惑がどうしても匂う。

車、占い、お酒、情報商材、セミナー、カウンセリング、整形、ダイエット、健康…。

今やモノのみならず、ノウハウや心といった目に見えないものも「商品」としてネット上に溢れ返っている。

でも、これらの商品を手に入れたとしても、私にとっては「一瞬で過ぎ去る快楽」に過ぎず、虚しさだけが残っていた。

なぜかと思った。
すると、それは単に、長い間広告を見続けながら、触れ続けながら、少しずつ無意識に信じ込まされ続けてたことに気づいた。
そして、これらの商品は、私たちが潜在的に抱えている「私には価値がない」「私には力がない」「私は自信がない」という思いを刺激するかのように消費へと促していたことにも気づいた。

でも、私がこの目で直接見て、私が直接経験した世界はどうなんだろうと思った。
すると、三分間の広告のイメージのような、一発逆転のお手軽人生なんてどこにもなかった。

そう、どこをどう見たってなかった。

健康を手に入れたければ、あれこれ何かを買う前に、日々、私の口に入れている物がなんなのか、運動を生活の中に取り込んでいるのかという生活のパターンをよく見直すことだった。

ダイエットをしたければ、ダイエット食品や運動器具をあれこれ買う前に、毎日、体重管理をたゆまず行い、何を食べているのかを把握し、口に入れたモノと運動量をきちんと把握することだった。

居心地のよい場所が欲しいならば、家を買う前に、今の空間で汚れたところがないか丁寧に見て掃除し続け、不要なものがあれば捨てながら自らが作り出す空間に。

新しい言語を学びたければ、お金をかける前に、自分が興味の持てる文章やドラマを地道に見続けたり、その国に直接触れ続ける。
ただ、それをずっと続ける。

才能を磨きたければ、ちょっとお金をかけてセミナーに通うことではなく、自分自身を好奇心を持って見続け、色んな角度から自分を知り、その興味に沿ったことを一生かけて行動し続けることだった。

パートナーがほしければ、結婚紹介所に行く前に、なぜパートナーが欲しいのだろうか、なぜ結婚したいのか…という自分の心の中にあるパートナーへのニーズをしっかりと見つめ続ける。

妊娠したければ、不妊治療のための病院費用をかける云々の前に、自分の体の冷えてる部分がないのかたゆまず触れて感じ、私の体温がどうなっているのかをしっかり記録し、時間をかけて体を養ったり、普段のパートナーとの関係はマンネリと冷え切ってはいないか、もしそうならば優しい言葉をかけるなど、関係を温め直すことからだった。

自分の体のことを知りたければ、手術云々の前に、まずは定期健診に行き、血液検査や色んな検査をまめに行う。

自分の心の痛みやトラウマを知りたければ、無料のカウンセリングや占いに頼ったり、お酒で忘れようとする前に、自らにたゆまず問いかけ続け、その答えを書き続けてそれを見つめる。
それでも分からなければ、お金をかけてプロにお願いして、一定期間サポートしてもらう。

非日常が欲しいと海外旅行にお金をかける前に、なぜ非日常を欲しているのかというその心を見つめ、本当に欲してるものは一体、なんなのかをじっと見つめる。

これらは全て、他の人が私にしてくれることなんてなにもないし、私が他人にしてあげられることもなにもなかった。
全部、自分で地道に行うことばかりなのに、それをすっかり忘れて、いざとなればお金を出せば手軽で便利にすぐ手に入れられると信じ込んでいただけだった。

今はじっとただ、そこにあるものをたゆまず見つめ続ける。
その根っこを絶やさぬように見つめ続け、必要な水は自らに注ぎ続ける。

本当は、そうやって自らの目でしか私のことを見続けるしかないし、自らの足で歩き続けるしか道は拓かれないのだ。

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