書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

「単一民族」という幻想の源泉

私は生みの母国である韓国と、育ちの母国である日本との由縁があった環境にいた。

今、生みと育ての国両方から離れ、縁もゆかりもないオーストラリアという土地で、この二つの国をじっと眺めている。

私がこの二つの国が持っていた共通の幻想。
それは「単一民族」だった。
それは憧れという想いから始まった。
日本で生まれ育った私は、遠く離れた韓国や民族への想いは憧憬であり、希望でもあった。
私は日本で生まれ育ちながらゆっくりと「単一民族」という幻想を育み続け、それが私の中の強い思い込みへと変わり、盲目へと陥らせた。

同じ同胞だから、分かってくれるはずだ。
同じ民族だから、温かく迎えてくれるはずだ。
同じ国籍だから、大切に扱ってくれるだろう。
同じ言語を話すから、分かってくれるはずだ。
同じ家族だから、分かってくれて当たり前だ。
同じ出身だから、きっと分かってくれるはずだ。

こんな期待や思い込みは私の心の中にどんどんと増えていき、結果、私の心にたくさんの苦しみや痛みを生み出すことになった。

けれども、私はそれを捨てられずにいた。
私はいつまでもすがっていた。
捨てたくても捨てられなかった。
なぜなら、私は「母国」から捨てられることを恐れていた。

でも、その幻想の源泉は、国でも民族でもなかった。
それはたった一人の人物…。
それは、紛れもなく私を生んでくれた「母」という一人の人物に辿りつくしかなかった。
近すぎて、当たり前すぎて見れなかったたくさんの想いが、私を静かに包み込み訴えかけてくるようだった。

私は誰よりも母に理解して欲しかった。
私は誰よりも母に見守ってもらいたかった。
私は誰よりも母にすがりたかった。
私は誰よりも母から大切にされたかった。
私は誰よりも母から愛されたかった。
私は誰よりも母から認められたかった。
私は誰よりも母から優しくされたかった。
私は誰よりも母から抱きしめられたかった。

こんな母への無数の強い想いが「単一民族」という長い幻想の夢を見続けていたゆえんだった…。

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