書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

感じる心を育むこと

お金や、家や、車や、地位や、権利や、仕事や、モノがたくさんあることと、私にとっての幸せの感覚はいかなる関係もなかった。

目の前にあるものに対する敬意と感謝を心から感じられる心があるのかどうか。
たったそれだけが、私の心を幸せな感覚へと導いてくれていた。

あってもないような扱いをする感謝を忘れてしまった人間…。
感じることをすっかり忘れてしまった20代の私は、このとても便利で富裕国と言われる日本で、心の不幸にもがいてた。
実家の衣食住のありがたみも感謝もなにもなく過ごした日々は実際に居心地が悪かった。
感じたくても感じられない私の心は、足りないことしか見えない不幸な人間だった。
お金があっても、まだまだ足りないとしか思えないその心を持ってることが苦しかった。

そこから実家を出て、20平米に満たない小さな家で、一人暮らしを淡々と過ごした経験。
単身、中国という国で共同生活をした経験。
二十年近くかけ、コツコツと学費を完済した経験。
日本に比べるととても不便な、海外での生活経験の日々。
こんな自分が選択した責任を自分で引き受け、行動に移した年月と引き換えに、私は「幸せな感覚」というかけがえのない財産を手に入れていた。

幼い頃から、自分は取るに足らない存在といつも否定し続けていた自分を払拭し、心から認め、讃え、褒めることができたことでもあった。
それは、初めて自らをきちんと育てたというような、大切な自尊心のかけらでもあった。
私はこの自尊心を心から大切にしていた。

そんなある頃だった。
私の前に「奇妙な存在」が現れた。
今まで知り合った人たちの中でも決してしないある行動を、その人はたびたび繰り返してきた。

その人はたびたびプレゼントやイベントで私の気を引こうとしていることはなんとなく分かった。
でも、そのプレゼントは、私が一度もほしいとも思ったことのない興味のないものばかりだった。
私の趣味や興味を知らずに何度も差し出されることが、そのうち不快に感じるようになった。
初めは好意でくれているのだと受け取ってはみたが、度重なるその行為に、とてつもない不愉快な感じを覚えた。

私はそれをただでくれるからという理由で、手を伸ばす気持ちにはどうしてもなれなかった。
それを受け取れば最後、私はまた元の不幸な心の自分になるとなんとなく知っていたからかもしれない。

私の感覚はもうちゃんと知っていた。
そのプレゼントを受け取り続けることは、その引き換えに、与えた人の言いなりなり従い、さらには自分の心を差し出す過去の過ちを繰り返すことになることを。
私はもう、そんな「飼いならされた人間関係」を結ぶ自分にはもうなろうともなれないぐらい変化していた。

私は私が欲しいものは、もうとっくの昔に人に請わないと生きていけないような小さくて弱い人間ではなかった。
私は、私が欲するものは、私自身が真っ先に自分に与えられ、自らが責任を取れる私自身が誰よりも頼りがいのある人間になっていた。
この大切な自尊心だけは、いかなる人も奪う権利がないことを、この身をもってよく分かっていた。

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