書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

母愛から見捨てられた恨みから立てた誓い

ずっとずっとずっと…それはとても数十年前からずっとあった「それ」…。
「それ」をなかったフリをし、水に流したフリをし、聞き分けのよい人を演じ、平気なフリをし続けていた「それ」。

私は敢えてじっとそれを静かに見ている。
じっとそれを見ていたかった。
それは母愛から見捨てられた恨みの私の生命を引き換えにして立てた誓いだった…。

その誓いを見た途端、何十年前の自分が鮮明に蘇り、何十年分の溜め込んだ涙が静かに、そしてとめどもなく流れてくる。
流れた涙を止めることなく、私はそれを尚、静かに見ている。

あの頃の小さな私は、親のためにこの涙を流すことにも疲れ果て、次第に、怒りと恨みと悲しみに溺れ死にそうだった。
届かぬ自分の想いに終止符を打つため、自分の心を自らの手で殺した。
なんどもなんどもなんども殺し続け、一瞬、そのにポッカリと空いた心の奥の奥のまた奥の空間に無理やり押し込んだ誓い。
自らの心を何度も殺してまで立てた誓いだった。
それは生命を引き換えにしたので、誰にも知られてはいけなかった。
それは一度しまったら、もう二度と取り出してはならないと自らに禁じ続けた誓い。
だから、私はとてもとても上手に演技をすることを覚え、自分ではない人になり続けて隠して隠して生きるしかなかった。

私はその隠し続けた私にもう随分と前から気づいていたのかもしれない。
だから、この一年間、少しずつ掘り起こし続けていたのかもしれない。
掘り起こせば掘り起こすほど、自らが死という闇に葬ったそれを掘り起こし、掘り起こしたがっていた。
その根っこを掘り当てたそれを今、静かに取り出し、じっと見つめている…。
それはこんなことだった…。

私は…生みの母国からも、育ての母国からも存在しない存在として扱われ、その見捨てられた強い痛みをじっと我慢し、それを恨みのエネルギーにしてかろうじて生きてました。
だから、生みの母国や育ての母国の大きな保護と愛を受けながら、感謝もなく当たり前のようにあってもないがのような扱いをする、不感症で無感覚で無神経なあなたたちを心から軽蔑しています。
私は民族から見捨てられた痛みをじっと我慢し、それを恨みのエネルギーにして…そうやって生きていました。
私は親から与えられた名前を愛していたのに、突然変えられた日本名に深く傷つきました。
それは、自分は人と違う存在してはいけない人間なのではないか、存在する権利を奪われたという痛みをずっと我慢し続け、親を恨みながら生きてました。
私は、親の機嫌に振り回され、人の顔色を伺いながら過ごすような自分を許せませんでした。
私は親の機嫌で受けた何度も受けたいじめ…身体と心の暴力を絶対に忘れません。
この身体と心が恨みとしてこの胸にしっかりと刻みつけ、それを許したくありません。
私は幼稚園の頃、あらぬ理由で母から外に追い出され見捨てられたあの出来事を、ずっとずっと心の中で恨みというエネルギーとして養い続けていました。
私は、自分勝手で見捨てた母たちは親の資格などないと思い、一生許すことはないでしょう。
私は、子供の生命を虫けらのように扱い、自分の所有物のように扱い、あるときは自分の感情のはけ口として利用し、時に子供を保険のように扱い、自分の感情のはけ口のように利用し暴力を振るうような母を絶対に許しません。
そして、親が過去に自分がしたことを悔い改めることはおろか、やったことに対し悪びれる様子もなく、それをなかったこととして扱い、また同じことを繰り返しながら生き続ける、そんな成長することも放棄した厚かましい親を絶対に許しません。
殺したいほどに、絶対に許さない…。

それは、小さな私が自分の心を殺した遠い昔、生命をかけて誓いを立てたことだった。

『この誓い、全部、忘れなくてもいいんだよ』

気がつけば私は、小さな私が立てたこの誓いを静かに見つめ、こうつぶやいていた。

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