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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

リセット

いつ死ぬかもしれないというような大きな荒波にさらわれた緊張の日々も去り、すると、目の前が突然、凪へと変わった。
それは、怖いぐらいに穏やかすぎる凪だった。

それは、私の前にまっさらな空間ができたようでもあった。
その瞬間、言いようもない身体的疲労と一緒に心の疲労…憤怒、悲しみ、イライラ、苦悩、諦めと疲弊が一気に押し寄せていたことに私はやっと気がつき、私はただ倒れこむようにひたすら眠り続けた。

その眠りから覚めると、不要なものなリセットされ、同時に新しい何かが生まれていた…。

私は「なにもしない私」をとても愛していた。
私はあらゆる役割から離れた「なんでもない私」の存在を受け止め、好きになっていた。
なにもできない「無能な私」「無力な私」も目を背けることなく私だったのだとじっと見つめ続けていた
「社会的に価値がない私」という存在も、強く否定することも強く肯定することもなく、ただそう感じているのだと、ただ、じっと見つめ続けながら、そんなひとつひとつの私を静かに見つめ、そして迎え入れていた。
「人とぶつかることを恐れ、黙ってなにも言わず、その場を丸く収め、なかったことにしようとごまかそうとする弱い過去の私」がいたことも見つめた。
「礼儀や順序をわきまえない存在を徹底的に叩きのめしたくなる暴力的で支配的な私」も見つめた。
「批判的な私」もじっと見つめ。
「口調も態度も厳しい私」も見つめ。
「冷たく非情な私」も見つめた。
「不機嫌な表情をあからさまにする私」も見えた。
「怒り狂い、暴力的な私」もまた見えた。

丁寧にひとつひとつ見つめると、
これは全て、私の細胞を構成しているひとつひとつの生命、私には流れているこの血の一滴一滴のような気がしていた。
そのひとつひとつで私のこの生命は成り立っていた。

…もしかするとあの大きく激しい荒波は、生命の重さと、自らの生命を大切に扱うこととは何かを静かに教えてくれていたのかもしれない。
私の生命を大切に扱うこと。
それは、今の私のあらゆる状態をその状態のまま見つめ、そしてそのどれも目を背けることなくじっと静かに見守り続けることだった。

それは、あまりにも平凡で、あまりにも当たり前で、あまりにも簡単すぎたがゆえにずっと見えなくさせていた、とても簡単でとてもとても難しいことだった。

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