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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

不足の心から離れ、私の絶対的価値観を養う過程

人から与えられるものを何でももらいたがる心。
自らが欲する欲しないに関わらず、何でももらいたがる心。
そして何でも与えたがる心。
相手が本当に欲してる欲しないに関わらず、自己満足のために与え続ける心。
それはどちらも、自分が一体何を求めているのかを分からずに彷徨い続け、自分には全てが足りないと渇望する心。
すると、その人は、目の前に現れたその場その場の誰かと比較し、その比較から勝つことばかりに夢中になる。
たとえその勝負に勝ったとしても、衝動的にモノを得たとしても、不足の心がどんどんと大きくなるだけだった。
そして、不足の心は、自らと周りをどんどんと闇へと巻き込むことだろう。
その不足の心は、衝動的にあれでもないこれでもないとモノや人をとっかえひっかえと取り替えて、人からの賞賛や評価でかろうじて生きている。
また、不足の心は、人を刹那的な快楽へと進ませ、依存症の誘惑も断ち切れなくなる…。

私は、そんな過去の自分をやめたかった。
そして、この一年間、仕事や友人や場所から離れて私がしていたことはあまりにも平凡なことだった。

『あなたが本当にほしいものは何?』

私は自分に何度も何度も問いかけた。
そしてその答えを外に求めず、正直に、静かに探し続けた。
そんなあまりにも単純すぎて地味な生活を繰り返していた。
そうやって見えてきた私という絶対的価値観。

私がほしかったもの。
それは拍子抜けするほどあまりにも平凡すぎて、あまりにも当たり前のことばかりだった…。


食べたくもないタイミングで連れて行かされる高級レストランのご飯なんかじゃない。
私は、本当に本当にお腹が空いた時に食べる家で作れる一杯のラーメン。
私はたったそれだけで満足できる人間だった。

維持費のかかる高級な一軒家なんかではなかった。
それは、本当に本当に一緒に暮らしたいパートナーと創る温かい空間。
快適に過ごすために綺麗に自ら手入れし、それぞれの好きな音楽を共有し、それぞれの趣味を自由に楽しめる空間。

高額な海外旅行なんて望んでなかった。
好きな人と自由に心について語らい、お互いが楽しく過ごせる人と過ごし、時に散歩し、時にスポーツで汗を流し、時に美しい花や風景を愛で写真に収める。
そんな体験と時間を過ごすだけで幸せだった。

無料だから、得するからという理由で行きたくもないパーティや集まり参加する時間などではなかった。
自分の心と身体を労わる静かな時間を過ごすことだった。

相手のエゴで押し付けられた欲しくないものを平気でへらへらと相手に媚びへつらい笑いもらうようなプライドのかけらもない人間にはなりたくなかった。
「ありがとう。でも、今の私には必要ありません」そう、誤解を恐れず自分の気持ちを冷静に表現できる人間になりたかった。

平気で私の空間や時間を侵し迷惑をかけていることも気づかない、感謝のかけらもない無礼な人間に対し心地よく感じてない自分の心を我慢させるような生き方なんてしたくなかった。
きちんと自分の時間と空間のため「私は人に迷惑をかけながら感謝もない無礼な人とはお付き合いできません。」こう毅然と自分の心を表現できる人間にずっとなりたかった。

自分以外の誰かに寄りかかる生き方ではなんて望んでなかった。
それぞれが選択したことに対する責任が何なのかを自覚し行動する人間になりたかった。

都合のいい人でいようとするために、自分の心を押し殺す生き方なんかではなかった。
自尊心の守るためには時に闘うこともできる人間だった。

家族や身内の情にほだされて、依存させるような人間にはなりたくなかった。
ダメはものはダメだ、できないことはできないと毅然とできる人間でありたかった。

こんな絶対的価値観が明確になればなるほど、欲しいものがよく分かれば分かるほど、不足の心はどんどんと消え去っていった。

私をもっと信じたい。
だから、問い続けよう。
だから、書き続けたい。
この、とてもとても平凡で地味な絶対的価値観を創る作業の日々を心から愛していこう。

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