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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

楽して儲けよの夢から覚めたら、地に足のついた新たな夢が現れた

38年生きてきて、甘い夢からシャッキリと目が覚めるようなこんな言葉がいきなり頭上から降ってきた。

「この世には楽な仕事など存在しない」

ここで私が言う「楽」とは、最小限のリスクで大きな利益を得ようとするいわゆる「おいしい話」のことだ。

なぜ、そんな幻想が私の頭の中にあったのかと言うと、それはおそらく父の働き方を見て育ったからかもしれない…。

父は確か、私が小学校の頃から中学の頃あたりまで自営業をしていた。
覚えている限りでは、ブランド物の売買をしたり、雀荘を経営したりと色々だった。
バブル時代を経験している父は、おそらく羽振りがよかったこともあり、いわゆる「おいしい仕事」も経験したことがあるのだろう。
その頃の家庭の経済状況も、十分過ぎるほど潤ってたこともあったと思われる。
しかし、じきに景気が思わしくなくなりつつあった頃、父はとある知り合いの投資話に乗り、結果、1000万程のお金を失ったことがある。
その時思ったのは、一度、甘い経験をした人は、その夢を忘れられずに生きているのかもしれない…と。

そんな父の下で育った私はと言えば、大学を卒業する頃には「就職氷河期」と呼ばれる時期を迎えていた。
私は、そんな濡れ手に粟のような経験をした父を横目にどう仕事を探そうかと考えあぐねていた。
そしてそんな父をどこかで「ずるいことをしている」と言う思いや、羨ましいような、妬ましいような、そんな仕事に関する複雑なイメージを抱き続けていたのかもしれない。

しかし、私自身、大学を卒業してから、20年近く色んな仕事を実際に経験をして感じたこと。
それは、この世には楽して儲けられる話などはどこにも存在しない幻であったいうことだった。
仮にそんなことがあったとしても、そのお金はすぐに私の目の前からすぐにすり抜けていってしまったことだろう。

そして、私の体験で見えてきたこと。
それは、どんな道の仕事だとしても、コツコツと積み重ねていきながら、その道を創り出し、それを周りがプロと呼んでいること言うことだった。
それは決して、ノウハウ本やセミナーや資格に時間とお金を少しかけたり、うまい投資話に乗って、簡単に得られるものでは決してない。

『自らのこの身体と五感使った実践の積み重ねの中でこそ磨かれるもの』

そのことを強く感じたのは、中国で約7年間講師の仕事を勤めた経験からだった。

日々、コツコツと積み上げ作られてきた資料を部署内で意見を交換し、丁寧に推敲し、更新していくことの積み重ね。
トレーニング前後の効果を測るためのアセスメント方式の研究や改良。
トレーニング後の社員からのフィードバックや改良。
社員を迎えるにあたっての初対面同士の雰囲気作りや、トレーニングの進め方。
全体を管理するマネージメント力や、関連部署との横との連携作り。

全てはひとつひとつ丁寧に、コツコツと創意工夫を紡ぎあげて出来上がった知恵の集合体であり、それは長い年月と色んな人たちのエネルギーで熟成されていくような、そんな「職人」とも言える道のりだった。

講師を務めていた頃、よく周囲の社員には「とても大変な仕事ですね」「私にはできない」と言われていた。
でも、私にとってのその仕事は「大変」という感じが全くしなかった。
たくさんの時間と労力と心を込めてきたのは確かだが、私にとって大切な作品を創り出し、それを表現できる場はとても大切な空間と時間だった。

私の手から生み出されるオリジナルの作品。
私自身が創り出すことへの喜びから始まり、それが周囲の人たちにも役に立ち喜ばれ、最終的それがまたの私の喜びとして戻ってきた。
そんな喜びをもっと感じたくて、気がつけば7年という月日が流れていたような感じある。
そう、言い換えるならば、7年勤めようと考えてたのではなく、気がつけば7年という時間が過ぎていたという方がしっくりくる。

そんな私の20年前と言えば、自己評価の低い人間であった。
もう少し正確に言うならば、機能不全家族の環境から人の目ばかりを気にすることに慣れてしまい、自分は存在しない人間のように扱い続けながら、自分というものをかき消して生きていた。
私は自分自身に根っこがあることすら知らず、フラフラと他人の幻想に惑わされ、遊び呆け、楽な方向にばかり行こうとするような人間だった。

そんな私は、学生の時になんとなくだけ知っていた「分かりやすく伝えることが得意」という微かな手がかり以外、自分のことをほったらかしにしているような人間だった。
そんな私の人生の第一歩が、中国での日本語教師の仕事だった。

その時の経験がまさか、数年後の職場…中国にあるコールセンターの日本語講師という仕事のチャンスにつながるとは夢にも思わなかった。
私は、これらの経験で、得意だと自覚し、与えられたチャンスに感謝し、ただ、一生懸命に仕事をした。
その仕事を地道にこなすうちに、仕事の幅が広がるようになった。
初めはたった一コマのトレーニングから始まった仕事。
続けるうちに少しずつ、確実に任されるコマ数が増え続けた。
その繰り返しの循環の中で、もともとは二人一組で行ってた二週間のトレーニングメニューをひとりで切り盛りするまでに大きく力をつけるまでに変容していった。
最終的には、トレーナーの育成や、大学へ出張へ行き、学生を育成するプログラムなどさまざまな仕事を経験することができた。
そして、仕事の幅や経験が増えると共に、どんどんと深みが増したような感じがあった。
その積み重ねの毎日が、見かけ倒しではなく、自分自身の内なる信頼に導いてくれた。
その自己信頼が、私を新たな職場へのチャレンジへと力強く後押ししてくれた。
講師という仕事を、次は別の環境でどこまで通用するのかを試してみたくなったのだ。
今までの職場に感謝しつつ、新たな環境に踏み込んだ。

そこはまさしく資料も何もないゼロの環境だった。
その真っさらな紙に、自分のやりたいように描き出せることの面白さ。
なんの制限もなしに、自由に、のびのびと。
私はそこでの社員の現状から把握するために100人以上の人たちの話を聞くことから始めた。
そして、そこからその人たちの現状やレベルを数値化してまとめ、そのレベルに沿ったプランを考案し、トレーニングメニューを開発するというコンサルティングに近いこともしてきた。
そこでは、自分の権限で自由に資料を作成する機会にも恵まれた。
私はその時、時間を忘れて夢中で資料を作成した。
その経験で私は「文章で表現する」「その作成した資料で伝える」ということが、より私を熱中させ、達成感を感じさせることを実感させてくれた。

だからこそ、今思うこと。
それは、どんなささいなことでもいい。
日々の積み重ねをひとつひとつを丁寧にしたくなるようなこと。
それを自らの体験の中で何を感じ、それが心地よいのかどうかを感じる力が大切なのだと。
それこそが私自身の根っこを張るための第一歩だと分かった。

去年、そんな愛すべき仕事とは、結婚をきっかけにお別れを告げた。
それは、まるで自分の大切な一部を剥ぎ取られるような、崩れてしまうような、名残惜しいような…そんな悲しみがぐるぐるとしていた。

そこから一年が経ち、その職場と離れてから少しは冷静になった。

そんな今思うのは、「書く」ということはいつでもできるし、誰にも奪われるものではないのだと。
そして今の私は、一体、誰のために、果たして何を書きたいのだろうと自問した。

1年前まではずっと、他の誰かのために、他の人が気にいるものを気に入るようにだけ書いてただけだった…。
でも…今は違う。

今は…私自身を書きたい。
ずっと自己評価が低く、泣き続け、まるで居場所がないかのように申し訳なさそうに生きてた「小さな私」の居場所を私の手で与えたくて、こうして書く。

実際に書き出すうちに、次から次へと小さな私からの切実なメッセージが止まらなくなり、狂ったかのように書いている。
もうこうなったら、徹底的に私と向き合い、とことん書き出してしまいたいという執念さえも感じる。

そうこう考えているうちにフッと、学生の頃の思いが突然私の目の前に現れた。
それはこんなことたちだった。

小学校の頃の文通が大好きだったこと。
学生の頃の友達との交換日記を心待ちにしていたこと。
読書感想文でよく模範として紹介されたこと。
日本文学に夢中になった学生時代。
心に関する本を夢中で読んでたこと。
中国で生活していた頃、毎日のようにブログを書いていたこと。
ある憧れの作家の人へ手紙を読んでもらったあとに「文章が上手いね」と褒められたこと…。

色んな場所でちりぢりにちらばっていた才能の点が、急に線となり、私の目の前に広げられて見せられているような感じがする。

自ら経験し続けたことの積み重ねが、深く深く眠っていた才能というエネルギーがゆっくりと息を吹き返したような、そんな感覚が湧き起こっている。

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