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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

「逃げるは恥だが役に立つ」を紐解く

最近はとても便利なものがあるもので、海外にいながらも日本や色んな国の番組を見ることができる。
私たちは小米(シャオミー)盒子というこの機械に大変お世話になっている。

インターネット回線さえあれば、各国の(中国・台湾・香港・韓国・日本など…他の国もあるかも…)ドラマや、中国で放送されている番組がリアルタイムで見ることができる。
ここ数年、テレビはほぼない生活に慣れたのだが、時折、日本語が恋しくなったり、興味のあるドラマがあった時に見る。

最近、見たのはタイトルにも書いたように「逃げるは恥だが役に立つ」だ。

私が印象的だったのは、派遣社員を解雇され、家事代行を始めたみくりが、しばしば「正社員」である伯母の百合や、正社員として働く人たちを羨望の眼差しで見て、所々で自己嫌悪に陥る場面だった。

私も日本にいた頃は、このみくりのように正社員という幻想にさんざんうなされた。
この日本という土壌では「なんとなく」だが、正社員は成功した人、そしてなれない自分は失敗者という暗黙の価値観を感じていて、その基準を満たせない自分へのコンプレックスがとても強く、卑屈になってたような気がする。

そこから私は、国を越えて生活することを選択することになった。
もしかするとずっと日本という土壌が全てと考えてる人からすると、私の行動は「逃げるは恥」という解釈に立って見えるのかもしれない。

実際に、中国に行くと拍子抜けなぐらいとても簡単に正社員になることができた。
他にも、中国で転職回数が多いということは、日本で言う「信頼がない」ではなく「色んなキャリアを積んだ」という解釈がされ、給料も上がることが多い。
私自身、中国で一度転職したが、初めの会社と比較すると約二倍給料が上がったことも経験した。

そして今思うのは、中国で「正社員」というものに実際になってみたものの、それは私個人の心にとってはどうでもいい価値観だったことに気づいた。

それはなぜかと紐解くと、私はずっと「相対的な比較の世界」にいて、「ないよりはあったほうがいい」という集団の価値観に洗脳され、それが正しいのだと勝手に思い込んでいたからだった。
そして「ないよりもあったほうがいい」には、私という「個人の本当の望みや意志」というものは全くもって欠落してしまっていることに気づいた。
私も実際に「正社員」というものを手に入れたとしても、まるでそれは雲のように虚しくも通り抜けて行ってしまうようでもあった。

その心をじっとよく眺めてみる。

すると、私という個人が心から欲し、望んでいるがどうかという感覚を無視して手に入れたとしても、その後に待っている結果は、「まだ何かが足りない」といった不足感に苛まれるということだった。

親、兄弟、家庭、学校、社会…。
私が育った環境は確かに競争や比較の世界で「相対的基準」ばかり囲まれていたので「自分の絶対評価」がすっぽりと欠落してしまうのも無理もないと思う。

しかし、私という個人が育ち始めた今、こんな視点が生まれた。
『私という個人が本当に望む絶対評価から、自分の価値観に合わないものから逃げる=遠ざかることは自分の心から望むものに近づこうとしていることでもある。
それは、自己肯定感や自尊心を養う上で役に立つ』

そしてこれからは「私は誰と比べたらまだまだ足りない」から「私には心から望んだお気に入りの◯◯と◯◯と◯◯がある」とあるものを数えていく感性を養っていこう。

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