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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

物質的な不便さ=心の自由+感性・身体の筋トレ

オーストラリアに来てからと言うもの、交通はもっぱら車。
と言っても、旦那の助手席に座っての移動。
車なしの生活をずっと送ってた私にとっては、人生で初めての体験と感覚があった。
私は自慢ではないのだが、車の運転のセンスが非常に欠けていて、運転はほぼできない。
(本当に恥ずかしい話なのだが、実技試験も10回以上は落ちました…)
しかし、来たばかりの頃は土地勘が全くなく、常に旦那に頼りきりだった。

しかし、私はこういった助手席生活をしているうちに、心の不自由さをずっと感じてた。
確かに、車の助手席に座っていれば、何もせずに楽に目的地に辿り着ける。
しかし、どんなささいな移動も、旦那が運転して隣で座っているうちに、心はつまらないと思っている自分がいた。
自分でハンドルを握ることができないことのつまらなさ。
受け身の居心地の悪さ。
考えることをしなくなる心地悪さ。
それで気づいたのは、楽を優先させて生活することは、どんどんと自分の感覚を鈍らせることにつながることが分かった。

そんなことから、最近は市内であれば徒歩、もしくは船を利用し、一人歩きをするように心がけている。
そう過ごすうちに、徒歩には徒歩の、車には車の、船には船の景色があることを感じる。
私が徒歩が好きな理由のひとつは、自分が歩いた道で突然目にすることのできる、お花との出会いだ。

車のスピードの速さでは、道端をゆったりと歩きながら、突然こんな小さな出会いに気がつけることなど一生ないと思う。

徒歩のゆったりとした風景は、こんな素晴らしい輝きや美しさや鮮やかさの感性を磨いてくれている。

そして、自分が選択し、自らの足で歩き、車で走った分の距離を自分の身体に課す喜びがそこには存在している。

私の場合、都会暮らし、スピード中心の生活を送ってきた分、余計にそう感じるのかもしれない。
きっと今まで、数多くの素晴らしい出会いや輝き、美しさを見落としてきてたのかもしれない。

私はこれからは、こんなゆったりとした心の風景を味わい、吟味し、一緒に共有できる人を欲しているのだと思う。

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