書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

家族は当たり前にあるものではなく、感謝と信頼を積み重ねなっていくもの

よく振り返ってみると、家庭という環境は、人間関係のあり方・生き方・生活・お金・仕事などあらゆる面で見て、聞いて、真似て、学ぶ初めての教育の場として存在していたことに気づく。

まだとても幼かった頃から、私たちは家庭で生活しながら、その風景の中で親がロールモデルとなり、色んなものを見て、聞いて、何がよいのか悪いのかは「親の価値観のまま」無意識に受け取り、刷り込まれたまま時が止まってしまっていたように思う。
私が、両親の姿から見えた風景とは「支配者・被支配者」の構図であり、強者と弱者の人間関係と地獄のパワーゲームだった。
そして、当然ながら子供である私はそのゲームに強制的に参加することになり、また、子供は弱者・敗者として位置付けられる。
夫婦2人の関係では「男が上、女が下」
しかしそのゲームには必ず反発のエネルギーが生まれ、それは悲しみや怒りと化し、怒声・罵声・暴力などの夫婦喧嘩が絶えることなく続いた。
物心ついた頃は、私たちは生まれたことへの感謝や喜びのエネルギーはすっかり忘れてしまい、怒りのエネルギーを浴び続けていた。
そして、その頃には私は単なる弱者としてしか扱われてこなかった。
そして、しばしば夫婦喧嘩のコマとして利用され、扱われ続けたことを今も悲しい記憶として心に閉じ込めていた。
小学校の頃、夫婦喧嘩で父が外へ出くと、それに激怒した母は私たちに父を探しにいけと私たち兄弟は夜中に家から外に追い出された。
夜、父の事務所までバスに乗り、朝まで兄弟4人で待ち続けることもあった。
後から妹の記憶で聞いて思い出した話だが、あの時、夜中、とても寒くて近くのコインランドリーで暖を取ったこともあったという。
私は恐らくあまりにも辛くて記憶から消し去ったのかもしれない。
そんな経験は「子供は利用される存在」と解釈するしかなく、それが私の自尊心をひどく傷つけ、私は両親から利用されるたびに感じる苦しみのエネルギーに耐え切れなかったのだと思うのだ。
こうして、小さな私はこれらをずっと心の闇に葬り去ったままにしていた。

そんな両親という二倍のエネルギーのに耐えきれず、だからこそ、どちらもいない海外で一人生活するという道を選んだのかもしれないとも思う。
しかし、38年という月日が流れているにも関わらず、両親の変わることのないパワーゲームを目の当たりにするたびに利用されることの恐怖に怯え続けている自分がいた。
どちらかに付けば、どちらかに角が立つ立場はとても不安定で、常に2人の間で怯えて続けながら生きてきた小さな私がまだそこで震えていた。
あぁ…。
人の目を気にしていたのは、小さな私がいつまた喧嘩が始まるのだろうと常に緊張状態にあり、両親の顔色をずっと伺っていたことかにリンクしていたのだと自覚した。
また、不機嫌な人、怒ってる人、怒鳴り散らす人、うるさい人、バタンと大きな音を立てる状況がとても気にかかっていたのは、いつまでも両親の影に怯えている「弱くて無力な自分」というセルフイメージからのメッセージだった。
そんな環境の中でずっと存在し続けていた「弱くて無力な自分」は、存在している私を消して消して消して揉み消そうとし、殺して殺して殺して殺しまくり、常に殺されるかもしれないという緊張状態に胸が引き裂かれ、歯がゆさで心の息を止め続けてながら自分をいじめ続けながら生きてきた。
そんな深く暗い心の闇の私が、今も「家族」という言葉に惑わされ、利用され続けたことへの激しい怒りに燃え続けていることを知った。

そして、私は結婚を機に、旦那の家族という別の家庭を目の当たりにしながら知ったのは、あぁ、どの家庭にも支配関係、利用関係がはびこっているのだということを知った。
旦那は長男なのだが、長男は食事会があれば支払いをするのは当たり前。
長男は親の言うことを聞くのは当たり前。
子供は親が要求することには必ず答えるべき…。
旦那は、私たち二人の時と、両親の前とでは全く違う顔を持っていた。
それは、50近くにもなる大人が、親の前になると突然、とても従順な弱者として完璧に振る舞い、親の機嫌を取ることに必死になっている被支配者の子供の姿そのものの顔だった。
それは昔の私の顔でもあった。

そんな姿を見ながら、私は小さな私に問いかけた。
ー私が目指してる「家族」ってなに?
すると小さな私ははっきりとそしてゆっくりと答える。
「私はこんな家族を目指しているのではない」
そして、静かに教えてくれている。
「家族という表面の言葉だけ関係」「手続き上の関係」「他人から見たいいという上っ面な関係」に小さな私は一切興味を持ってないのだということを言ってくれている。

それと同時に今、フッとあることを思い出した。
私の家系は祖母が一代で商売で成功し、財を築いたのだが、周囲の子供たちは「家族」いう言葉にあぐらをかき、経済的に依存しお金に群がった過去がある。
そんな精神的にも経済的にも甘えや利用関係を受け入れるような人間関係のエネルギーでその家庭も経済も破綻した。
そして最期に祖母が「あんたたちを幸せになどしない」と言う一言を残し、入水自殺するという結果を招いていた。

その過去の色んな出来事から、改めて悟った。
依存や利用のエネルギーで成り立った人間関係は、必ず破滅の道へ進むということを。
そして、私が望むものとは、目には見えない信頼を築いていくことが最大の目的であったことを。
家族というのは、もともとは他人と他人から始まっているもの。
だからこそ、日々の生活の中で信頼を積み重ね、感謝と喜びのエネルギー交換の積み重ねが結果として「家族」として実を結ぶことを。

なんだか最近は少しずつ、小さな私と今の私の合作で新しい価値観が生み出されているように思い、とても嬉しく思う。

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