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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

何もしない兄弟の存在への感謝

今日は久しぶりに兄に電話した。

普段、兄とはほとんど連絡を取ることはない。
しかし、電話で一言話せば何とも言えない安心感に包まれる。
兄弟という、過去に一緒に過ごした存在であり苦しみの闇を分け合った同志のような感じもあり、小さい頃には分からなかったが、遠く離れて暮らしながら、彼の姿から暗に感じるものがたくさんあったことに気づいた。

物静かで思慮深い姿。
相手に強制することなく、個人の自由を尊重する。
聡明で自分で仕事をしている才能。
とても心優しい性格。
健康に気遣う生活を送ってること。
本当に愛する人との時間を大切に過ごしていること。
静かに淡々と地に足をつけ、自分の人生を生きている姿。
経済観念がとてもしっかりとしていて冷静であること。

彼は私に金銭的に何かを援助するとか私がやるべき領域には一切口出ししない(私も要求はしないが…)。
でも、私はそれをとてもありがたく思っている。
彼は私に何もしないという態度を通して、私は私の人生の選択の自由と責任を取ることを許してくれているのだと思っている。
一方、旦那の家族はと言えば、家族がお互いに要求してるしないに関わらず、何でもしてあげるというよい人を演じお互いを弱らせてる姿や、「一家団欒」を振りかざし、集団の集まりを何かと企画し、形式的でもいいからコミュニケーションを取るべきだ、必ず参加すべきだということにこだわりコントロールし、この集団を牛耳ろうとする人間がそこにいた。
それが、本人が望む望まぬに関わらず、親の言うことは絶対という感じの価値観を押し付け、家族全体がまるで一心同体のように同じ価値観で、個人が犠牲になりそれに合わせて生きてるようだった。
それがいい悪いとは言うつもりも、その人たちに意見したり議論することも一切する気もない。
けれども、私はその空間がとても不自然に感じた。
私は自由のないその空間が嫌いだ。

それで私は思った。
私はそんな二つの価値観の比較からも、私はやはり、この私たち兄弟のように、個人が個人を引き受けるスタンスが私が切に望んでいることなのだと。
これからの時代、家族・国・会社・コミュニティに生命を委ねるのではなく、私が私個人の責任を負って生きていく自育力が必要になっていくことだろうと強く感じた。
そして、このコントロールの世界は自然と崩壊することだろう。
だから、他人にもう迎合する生き方は捨て、自分の領域はしっかりと守り続けたいと思う。

そんなことで、兄と通話したほんの少しの時間を共有しただけで、彼の素晴らしい側面を即座に感じることができるのも、昔から一緒に時間を共にした兄弟だからなのかもしれないと思う。

そして、私にはその存在がいてくれている。
たったそれだけで、とても勇気づけられる。

兄弟はこれから未来をたくさん共有できる存在でもある。
そんな兄弟がいてくれてよかった。
本当によかった。
有難い。

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