書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

小さく少ない土壌、大きく多い土壌

私は日本で生まれ、ルーツは韓国にありながら朝鮮という記号を持ち、朝鮮学校で教育を受け、大学の頃に韓国国籍を獲得し韓国へ留学、中国での仕事経験を約9年間経験し、そして結婚を機に今はオーストラリアに住んでいるという、海外に縁のある生活と経験をしてきた。

そんな色んな価値観の環境での生活を体験しながら感じたことをシェアしたいと思う。

それは一言で言えばこういうことだ。

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『小さく少ない土壌は、出る杭は出れば出るほど打たれ続け自尊心を失わせる。

   大きく多い土壌は、出る杭は出れば出るほど個性と自由を獲得する。』

色んな場所やコミュニティには「暗黙の基準やルール」というものが存在し、そこでの厳しさや緩さはさまざま。

でも、そのどれも共通しているのは、そこでのルールを破る人はその場所では悪と見なされ、突き放されることになるということだろう。

私の経験上の話だが、特に、日本や韓国という土壌では、色んな基準やルールが細かく決められ、厳しい目を光らせていた。

それがとても高いクオリティ製品やサービス生み出しているという光の側面があることは確かだと思う。

しかし、それは同時にその集団での基準に少しでも当てはまらない「出る杭」は強く打たれ続ける。

さらに、誤解を恐れずに言ってしまうならばそれは「その人には価値がない」というところまで見なされ、個人の深い闇の苦しみがその裏に隠れていることが見えた。

実際の経験を話すと、私は日本で育った韓国人で、韓国語は朝鮮学校で学んだ。

韓国語の読み書きや話すことも可能だが、発音や表現力はネイティヴには到底及ばないレベルだった。

それは、ネイティヴの人はすぐに嗅ぎ取り、私にいつもこう尋ねられた。

「あなたはどこの人?」

そして、私が在日韓国人であるということを言った瞬間「あなたは純粋な韓国人ではない」という否定的な目で見られることはよくあり、私はその度によそ者という疎外感を味わった。

また、日本でも、帰化して日本名に変えた親戚からは、私たちが朝鮮学校に通っていることで「北朝鮮」というレッテルを貼られ、そんな学校になぜ通うんだといった偏見に満ちた発言をされたこともあった。

また、とてもショックだったことは、韓国に住む妹の甥っ子からの発言だった。

その変化はおそらく甥っ子が小学校に入ってからだと思う。

普段、日本で育った私と妹は日本語で会話をするのだが、それを聞いていた甥っ子は日本語を話す私たちをどこかで恥じているという感覚を持っていることを知った。

それは、ある時、私が妹の家に遊びに韓国に行った時のこと。

甥っ子の友達と顔を合わせる機会があったのだが、彼が突然私にこう言った。

「イモ(韓国語で叔母さんの意味)、友達がいる前では日本語を使わないで。」と初めて私を遠ざけるような態度だった。

きっと甥っ子は、日本語を使う私たちを友達が知るときっと変な目で見られるかもしれないという恐れを持ってそのように言ったのだろう。

小学校の頃からもうこんな気持ちが芽生えていたことに土壌の大切さを改めて感じた。

そんなひとつひとつの私の体験からは、民族・国・家族・親戚・会社といった土壌は、私を守ってくれらことは一度もなく、むしろ、期待すべき存在でも、当てにすべき対象ではないことを徹底して学んだ。

他にも、私は日本で働きながら感じたこと。

当時、私は派遣社員として働いていたが、そこでも緊張感と疲弊感を常に感じていた。

それは、常にその会社や集団が作った基準に目を配らなければならないというにばかり神経を使うようになり、結果、自分の視点というものが全くなくなり、まるで魂を抜かれたような無力感を常に覚えていた。

特に、私のように個性や自由をこよなく愛する人間にとっては耐え難い土壌だったように思うのだ。

一方で、中国はと言うと、まず、民族・人口が多いこともあってか、仮に基準を作ったとしても、統制できないこともあり、ある意味、何でもありの緩いルールの世界だった。

そんな緩さが私の性質にはきっと合っていたのかもしれない、と思う。

そして、今年からオーストラリアで住み始めて知ったことだが、半数以上が外国から来ている移民国家だった。

確かに、道行く人たちを見ると、オージー系、アジア系・アラブ系・インド系・ヨーロッパ系など…本当にさまざまな言葉が飛び交っている。

そんな移民で成り立っているという国のバックグラウンドは、必然的に寛容さを求められる土壌になっていくことを肌で感じた。

私はこのように実際に自分の目で見て、聞いて、感じて、体験・経験したことから、自分にはやはり多民族国家の土壌が合っていることを感じた。

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生まれた瞬間に始まるコミュニティはきっと家庭と生まれた国だろう。

私たちはその小さな世界の土壌しか分からず、しばらく過ごして慣れるうちにその世界が全てだと思い込んでしまうものだ。

また、もし、その世界が狭ければ狭いほど、多くのルールや厳しい管理をするようになり、でも、これはこういうものなのだ、当たり前なのだとしか捉えられなくなり鈍感になる。

しかし、それが、よく分からぬ苦しさや生きづらさに繋がっているとは、同じ環境のままでは、どうしても気づくことが難しい。

だから今。

顔を見たこともないもう一人の私に向かって伝えたい。

心がこの言葉にならない苦しさや生きづらさに満ちているもう一人の私へ。

「今住んでる世界の、そのルールや基準が絶対ではない」ということを。

そして、今の環境から、別の環境に身を置くという一歩を踏み出せば、五感が再生し、そして自分には、他にも選択肢があったのだということを思い出せることを。

そして、誰にでも、自分の望む環境を知り、選択し、自分の足で立ち、根をはる権利と自由があるということを。

 

安全な既製品の道で、出る杭は打たれながら、ルールに自分を合わせて生きるのか。

それとも、リスクを覚悟し、自分が感じた道を歩き、新しいルールを創る側に生きるのか。

そのままでいるという選択も、変えていくという選択もどちらでもいいと思う。

でも、それを最後に決めてるのは紛れもなく私自身であることを自覚を持つことが大切だと。

なぜならそれは、自分が選択した道にあるメリットとデメリットをきちんと自分が引き受けることになるからだ。

それが自分の人生を生きていくことになるのだと。

私は今。

自分がしっかりと選び続け、進み続け、振り返ると出来てた道が、私を後押ししてくれているように感じる。

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これからも、いや、生涯。

広く、大きく、多様で、美しい世界を選び続けていたい。