書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

花を育て、教育に思うこと

花を育てる過程。

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それは私にとって、日々、学ぶべきことと喜びが宝物のように詰まっている。

それは「育てる」という本来の意味が、一体どういうことなのかを改めてさせてくれる時間でもあった。

それは、私が育った家庭や学校では決して学ぶことのできなかったことばかりでもあった。

植物を育てる前提として、普段忘れがちな「自然を感じる力」をつけることが必然的に求められる。

「光、水、空気」

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これらが健康な環境をきちんと見極め、その環境に置くことですくすくと健康に育つ。

 

「土」

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花によっては硬い土、柔らかい土、水はけのよい土とそうでない土、その土を把握し花を育てなければ、たちまちその花は枯れてしまう。

そして、水やりのタイミングも、土を触りながら乾いた度合いをうまく見計らいながらやる。

育てるための目安などの情報はインターネットで調べればすぐにでも把握できるが、あくまでもその花のタイミングを私自身の五感でしっかり感じ、水やりをする。

タイミングを誤ってしまえば、水はけが悪い土になり虫が発生したり、根を腐らせてしまったりという悪循環に陥る。

また、あまりにも水が不足してしまえば、根っこが乾きすぐにでも死んでしまう。 

 

「温度」

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天候や季節、日当たりをよく観察し、その気温に合わせて適切に場所を変えて置く。

暑い日は水打ちをし、その空間を冷やしたりと工夫する。 

 

「花の個性」

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花にも個性や性質、好き嫌いが存在する。

大きな花や小さな花。

光を好むものと、半日陰を好むもの、外で育てるのが適しているものや、室内で育てるのが適しているなど…。

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その個性に合わせた環境に置く。

 

「清掃」

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清潔な環境を整えることも、間接的ではあるがとても大切な要素。

不衛生な環境には虫がやってきてしまうので、周囲の掃除や、枯れてしまった葉っぱを丁寧に取り除く。

 

「沈黙の時間」

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こんな環境を整えた後、ただ静かにゆっくりと沈黙の時間を過ごす。

私が直接的になにかをしたりしているわけではない。

ただ静かに時間を与え、淡々と見守り続ける時間を取る。

この時間もまた、とても大切な育む過程のひとつ。

 

そんな中、ふと思った。

この花を育てる過程と、私が育った時代の人間社会での教育がどうだったのか。

私の個性と土壌は全くもって正反対で、日本で生きてきた私の心はまるで、この花のように弱々しく死にかけていた。

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思い返せば、私の生まれた時代は、物質的には十分過ぎるほど満たされてはいたものの、目には見えない心の充足は全く欠如した環境でずっと過ごしてきた。

よく眺めてみれば、学校教育もまた、子供の個性よりは、国の都合や利益が優先。

その前提での「ひとつの価値観」で、教科書の内容をひたすら詰め込まれ続け、それに何の疑問も持たず、みんながそうするかは…と自ら考えることをすっかり止め、自分以外の誰かの後ばかりをついていってしまうような土壌だった。

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そしてその土壌は、その国にとって有益になる一握りの人だけが成功を収めるだけで、私を始めとする多くの人たちは延々と敗北感や挫折感を味わうことになることを知った。

その経験は、自分への信頼感を失わせ、自立する力を失わせた。

それが、とても苦く痛い経験になってしまい、あの枯れかけた花と同じようにすっかり自信を失い、生きていることを申し訳なく思いながら生きていた。

また、私の場合「機能不全家族」という環境から、親からの承認も得られた感覚がほとんどなく育った。

また生まれて与えられた「在日コリアン」というレッテルは、韓国でも日本でもないグレーゾーンの存在で、二つの国からも承認を得られず見放されて生きてきた潜在的な悲しみも抱えていた。

さらには、この複雑な境遇を誰とも分かち合うことも、理解し合えないという孤独感や苦しみの冷たい土の中で私はずっとずっと閉じこもり続けていた。

本来は当たり前に与えられているであろう光…親や国という「大きな存在からの承認」が得られないことの痛み。

私の家系の場合、韓国から海を越えて日本に渡ってきた過程で、国と国による偏見や差別などの経験、親戚はほぼ日本名に変えたりなど、おそらく何代にも続いた、あまりにも大きく、そして、長すぎる痛みであったと想像する。

その痛みを感じたくないし、感じさせないように、親世代は自分の名前を隠し続け日本人のように振る舞い、物質的ものに幸せを探し、その埋め合わせをしながら、心を殺し続けて生きてきたように思う。

そして、私たちの世代は、国が一方的に決めた「国にとって都合のいい学校」や「国にとって都合のいい会社」に入る価値観だけを見せられ、それに黙って従うような時代の流れだったように思う。

しかし私は、大学三年生の時に既に悟っていたのかもしれない。

周りがそわそわと就職活動を始める人たちを横目に、自分もなんの考えもなく同じように就職活動してみたものの、どうしようもないこの違和感をどうしても無視することができなかった。

「私の道はここではない」

そう誰かにずっと囁かれているようだった。

そこから私は一歩ずつ「私」という個性に合った土壌を探し続ける旅が始まったのかなとも思う。

まずは、韓国へ留学するという自分の決断を実行し、一歩前に踏み出した。

その時は、同じ言語を話せる、同じ民族からの承認を得られるのではないかという淡い期待を持っていた。

しかし、残念ながらそこは、国境を越えたというだけで、日本と中身は同じような空気を感じるだけだった。

レッテルや基準ばかりが多いその二つの国の似通った空気感は息苦しかった。

韓国では、その基準から外れれば、すぐに失敗者や敗北者として扱われ、常に戦々恐々と競い合う緊張感でいっぱいだった。

私は韓国留学中も「在日」や「朝鮮学校」に通っていたというレッテルばかり見られ、まるで私自身の内面を全く無視されているような強い怒りを持った。

多くの人たちは「私はあなたとは違って純粋な韓国人なのよ」というような…上から見られているような蔑まれたような目線は、私のとても大切なものを踏みにじられた気持ちにもなった。

…今、思えば、日本と韓国の「単一民族」という価値観が「私の価値観とは合わなった」といことがよく分かる。

私が言う「単一民族の土壌」とは「ひとつの価値観をとても強く信じ、その価値観に人が合わせて生きる」という生き方だった。

もちろん、それがいい悪いということを言いたいのではない。

「ひとつの価値観をより重視する日本や韓国という社会の土壌」と「個性・自由を強く望む私の価値観」が激しく衝突しただけだったのだ。

そうなると、私は、自然とこの土壌と自分の価値観は合わないと知り、また別の土壌を求めるようになった。

それが、中国の朝鮮族自治州の延吉という土地だった。

ここは中国の漢民族と朝鮮族の人たちが共生する環境だった。

私はここで幸いにも日本語教師として雇われた。

それまでは大学で遊んでばかりで何の目標も持てずに過ごしてた私が、その頃にできることといえば、恥ずかしいのだがこのぐらいしかなかった。

しかしそれをも含めて自分を受け入れ、新しいスタートを切った。

そこでの生活は、物質的には決してよかったとも言えないし、また、給料も日本であればバイトですぐに稼げるお金でもあった。

けれども、私は何だか今までに味わったことのない感覚で満足していたことをよく覚えている。

それは、私という個人を承認してくれ雇ってくれたこと、興味を持って接してくれている同僚や、外国人だからなどというレッテルではなく、好奇心で接してくれること環境に満足していたのだと思う。

幸い、私自身、大学で中国語を学んでいたことや、人に分かりやすく伝えるということが比較的得意だったこともあり、初めての仕事ではあったが、私は、自分でもとても驚くほど自然に、仕事をこなし、楽しんでいた。

また、とても自由にやらせてくれる環境も性に合い、伸び伸びと教えることができた。

その空気に惹きつけられるように自然と人も集まるようになっていたこの循環が私をとても満足させた。

そしてその頃、私は初めて日本で縛られていたありとあらゆるレッテルから解放されたような自由な感覚を知った。

出身・国籍・学校・外国人…などのレッテルからは完全に解放された世界。

それよりも、内面に備わっている私という個性や、私のこの手で無限に生み出される能力への承認が私を何よりも満足させてくれていたことに気づいた。

 

もしかすると、私の与えられた生命は、精神的な面では真っ暗闇の環境だったのかもしれない。

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けれども、幼い頃からずっと真っ暗闇の環境だけを見て育っていた人は、これを暗闇と自覚する人はあまりいない。

でも、ずっと暗く、冷たく、苦しく、死んでしまいそうな感覚が私を蝕み続け、苦しみ続ける。

そして、その家庭から一歩出て、光の世界に触れたからこそ、あぁ、今までの世界は暗闇だったのだとハッキリと知る。

そして、強烈に光を求めるようになる。

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闇も体験し、光も体験したからこそ、自分が欲しいものが何なのかをより明確になり、そしてその光に向かう原動力になったのかもしれないと思う。

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そして思い出し、強く自覚した。

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私は、こんなにも混沌とした逆境の中であっても、私には光を見つける力があったということを。

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私には、誰に頼ることもなく、自らが心から欲するものを自らの頭で考え、自らの足で行動し、自ら手で切り抜けていけるとてつもないエネルギーがこの手に充満していることを。

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今までも、そしてこれからも、私が心から求め、欲するものは何でも手にすることができることを。

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花を育てる過程は、日々、私の感覚をより鋭く呼び覚ましてくれている。

そして、この感覚を鋭く磨けば磨くほど、自分自身の喜びや愛、勇気、自信とどんどん繋がっていくような感覚がここにある。

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そして、今の時代もまた、国や会社や親や他の誰かに寄りかかるような流れから、自分で自分の感覚や才能を育て、自らの手で社会に訴えかけ、その才能や能力を発揮する流れになっているのだろう。