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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

「嫌い」を受け止められた日

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いつからなのだろう。

私の中で「私は万人に好かれないとダメだ」と思うようになっていたのは。

ふと、嫌だなという思いを自分で抑え込んでいたことに対して苦しんでいたことに気がつく。

また私の小さな私に尋ねてみた。

ーこれはなぜなのだと思う?

幼稚園で覚えたこと。

嫌いなものを食べない子はダメ。

家庭で覚えたこと。

親の気に入らないことをする子はダメ。

社会で覚えたこと。

他の人に迷惑をかけることはダメ。

学校で覚えたこと。

嫌いな子を無視してはダメ。

コミュニティの中で覚えたこと。

ルールを守らない人はダメ。

こんなダメの条項ばかりが増え、もうこれは何もかも全て受け止めて、されるがままに全てを受け入れなくてはならないという方向へ進んでしまい「嫌だな」という感覚を自分の心に閉じ込め、相手にいい顔をすることばかりを覚えてしまっていた。

でも…。もう一度小さな私に聞いてみる。

ーこの「嫌い」という感覚は本当にダメなんだろうか…。

例えば…。

私は虫がとても嫌いだ。

理由なんてない。

ただ、嫌いなのだ。

幼稚園の頃、給食で出てくる冷えたご飯を食べるのも、牛乳もヨーグルトもとても嫌いだっだ。

けれども、給食を残す子はダメというレッテルを貼られ、私は幼稚園がとても嫌いだった。

小学校の頃、仲良くしてたはずの同級生に突然、無視されたその子がとても嫌だった。

こんなことひとつひとつをよく見てみると、ある意味、本能的に自分に害があるかもしれないと感じていて、それを守るために備わっている大切な感覚だと思えてくる。

その感覚を切り離し放棄するということは、自然界では極端に言うならば「死」にもつながる。

それと同じように、嫌いな人や嫌いだなという出来事、されて嫌だなという感覚を抑えて黙っていることは、自分の領域に危険なものを入れることを許してることにもつながると言えるだろう。

黙認するということは、心理的にも自尊心が損なわれることでもあると言える。

けれども、私はずっと嫌いだという感覚に対して、黙って何も言わないという選択をし続けていた。

その選択の連続が、自分の心に怒りを育てていたことに気づく。

そう思うと、この「嫌い」という気持ちを仲間外れにしてたことがとても申し訳なく思い、私は小さな私に言った。

「今まで気づいてあげられなくて本当にごめんね」

すると自然と「私はこういうことをされるのが嫌だ」と発言することを少しずつ実践したくなった。

それがきちんと自分の領域を守ることにつながり、相手に自分はこういう人間であるということを知らせることもできるのだから。

今日もまたひとつ、嫌いを抑えすぎていた私を受け入れ、嫌いという感覚を大切にすることの重要さを理解することができたとても大切な一日だった。

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ありがとう。

明日もまた色々教えてね。