書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

変容を遂げる小さな私

オーストラリアに来てから「旦那の家族」の姿を通して、私の心の闇を徹底的に突きつけられた感じがする。

彼らは、遠目には一見「とてもいい人」の光を纏っているようだった。

しかし、オーストラリアに来てからじきに、光の裏に隠れていたとても暗く重い闇のエネルギーがとても巧妙で複雑な形をして君臨していることを知った。

私が直感的に、そして無意識に警戒心を持っていたのは旦那の妹だった。

こちらに来てからと言うもの、彼女が水面下で何かと主導権を握り、イベントなどにかこつけては集まろうとし、全体を取り仕切ろうとコントロールしていた。

最初のうちは私も付き合っていたが、そのうち彼女の行動になんとも言えぬ違和感を感じ始めていた。

中国の年越しから始まり、両親の誕生日、両親の結婚記念日、中国の祝日や、オーストラリアの連休、妹の子供の誕生日…とにかくなんでもかんでも妹からやたらと集まろうとしてくるのだ。

私は一体、何が不快なのかをじっと追ってみた。

すると見えてきたのは、いつもその集まりの時には「私の意見」は全く尊重されず、妹だけの都合で勝手に決められているという点だった。

いつも妹家族にとって都合のいい場所の決まったレストランでの食事、自分だけがいいと思ってる甘ったるいケーキをたくさん買ってきては食べさせる。

当然ながらそんな集まりでの会話は弾むわけはなかった。

仕方なしに食べ物を詰め込むだけ詰め込むだけで、私だけが犠牲を強いられているこの集まりに、私はこの上ない不愉快さを感じていたことを知った。

よく見ると、彼女はまるで、新しく来た私をとても意識しているようにも感じた。

彼女は私も「この家族の一員」としと取り込み、従わせようと必死になっているようにしか見えなかった。

彼女はまず、モノでエネルギーを与えてくるようになった。

受け取ったものは見た目にはキレイだった。

香水や、よくわからない置き物、高価そうなダウンジャケットなど…。

しかし「私にとっては」どれも心に響かない、使うことはないであろう「ゴミ」でしかなかった。

それはじきに、彼女は私が喜ぶのであろうと想像して買ったのではないことが分かった。

私へのプレゼントは、私を喜ばせようという純粋な気持ちからではなく、「私はいい小姑」ということを感じるための単なる自己満足の行動に過ぎなかったことに気づいた。

心の片隅で何かがおかしいと感じ始めていた違和感はまさしくこれだった。

彼女は表面上、私にプレゼントをして関心を持っていると見せかけ、実のところ、最終的には、私をコントロールし、従わせようと言う巧妙な仕掛けだった。

私が想像するに、妹家族と両親は10年以上も近くで住みながら、完全に癒着し続けながら暮らしていたのだと思う。

そして、今は働き手である妹がその共依存のエネルギーを供給し、既にリタイアした両親が依存者という関係だった。

そんな共依存が重たいエネルギーの源だった。

観察していると、妹が親に生活費や食べ物、色んな電化製品など…ありとあらゆる物質や、毎日何度もかけ続ける電話などだった。

そして、その見返りに妹が得られるものとは、親や周囲から「親孝行な娘」「いい人」「幸せな人」「成功した人」という称賛や承認だった。

そんな関係を続けていたからか、この2つの家庭はとても似たようなエネルギーを発していた。

それを証明するかのように、間接的ではあったが、妹と似たようなエネルギーが、次第に旦那の両親からも少しずつ感じられるようになった。

旦那は週に一回、土曜日、実家の近くでサッカーをしにいっているので、毎週、実家に寄っている。

初めは私も連れて行かされ、ご飯を食べたりもしたが、顔を出すようになれば、少しずつ私たちの生活についてあれこれ干渉するような言葉、要らないものを押し付けるような行動が出てくるようになり、次第に重たい空気が流れ始めていた。

それを素早く察知した私は、ある時を境に距離を置くようになった。

そして、旦那には実家でご飯を食べたいのならば、行きたい人が行けばいいと伝え、土曜日はバラバラにご飯を食べようということに落ち着いた。

すると、今度は、両親が作ったご飯を家に持ち込んでくるようになった。

初めはありがたく頂いた。

おいしく頂いたので、純粋にお礼の電話もした。

両親はそれが嬉しかったようで、それが毎週のように続くようになると、私はとても重たく感じるようになった。

ご飯を持ってくる回数が増えてきたり、他にも色んなものを持ってくるようになってきた。

そうするうちに、私はまた以前に感じた似たような重たいエネルギーを感じた。

そう、妹と全く同じ重たいエネルギーだった。

そんな見返りを求める行動は、妹の行動をそっくりそのまま真似ているようでもあった。

当然、私は感謝の気持ちも薄れ出し、次第に土曜日がとても憂鬱に感じるようになってしまった。

毎週のように続けば、その当日に、両親のご飯を食べたくない時も出てきた。

その上、食べたいと言った覚えのないものまで持ち込まれるようになってくると、それはもう不快以外のなにものでもなかった。

両親からの食べ物が私たちの冷蔵庫に所狭しと埋まっている時、私は不愉快極まりなかった。

まるで、私の空間を侵食されているような、不愉快な気持ちになった。

その時、私はまだ気づいていなかった。

もう私の心の中には、既に小さな私の種が蒔かれ、根を下ろし始め、それが「不快な気持ち」として私に一生懸命信号を送ってくれていたことを。

それを今、きちんと言葉で表現するのであれば「もう二度と私に我慢を強いないでほしい」「きちんと私の意見も尊重してほしい」だった。

その時は、その信号に気づかずにいたので、「両親からのご飯は必ず食べなくてはならない。拒否することはよくない」といった支配的なエネルギーとの葛藤で、私はとてつもなくイライラし、結果、旦那との喧嘩を繰り返していた。

あの時、変容を遂げていた「小さな私」はまだ言葉にはできてなかったが、もうちゃんと見抜いていたのだ。

両親たちは自分たちが「いい人」として扱われ、気分がよくなるような言葉を言われたり、感謝されるという見返りを求め、そのためにモノをくれていたことを。

そして、最終的には私を従わせるような支配的な行動に出るようになることを。

そんなことから、私はもう持ってこなくてもいいと旦那を通して断った。

私は、心の癒しと小さな私を育てているうちに、心の底から欲しいと思えていないものを無理矢理与えられることはこんなにも苦しいことだということを初めて知った。

小さな私は、たくさんの押し付けに黙ってずっと耐えるしかなかったのだということが、今やっと心の底から理解できるのだ。

今までは「両親は上で、子供の私たちは口答えしてはならない、両親の気分を害してはならない」という思いが、小さな私の意見を押さえつけ、口を塞ぎ、苦しんでいたことすらなかったことにされ続けていたのだと。

この声にならない苦しみの存在に気づけてあげられなかったことを。

私は心を込めて、小さな私に伝えた。

「ごめんね…ずっと分かってあげられなくてごめんね…」

今はただ、こんな言葉しか見つからない。

なぜなら、小さな私がいつも一歩引いて、いつもいつもいつも…そして、何十年にも渡って押さえつけていた我慢と犠牲の怒りと深い悲しみのエネルギーが、今やっと顔を出し、爆発しているのだから、抑えずにただそうさせてあげたい。

小さな私は、今の私に、心の奥でずっとずっと怒りという感情を通して、私の胸をノックをし続け、そして大声で必死で叫び続けてくれていたことが分かった。

そう思うと私は今、ごめんねという言葉を言いながらも、一方で、この小さな私の変容がとても嬉しく、喜ばしくも感じている。

やっと心の叫びを吐き出している小さな私をとてもとても嬉しく感じているのだ。

 

「なんで、私が欲しいがどうかを聞かずに勝手に自分たちで決めるの?」

「なんの権利があって、私の時間を一方的にコントロールするの?」

「なんで、人の気持ちを考えず、強引に進めようとするの?」

「なんで?なんで?なんで?なんでなの?私の声もちゃんと無視しないで聞いてよ!!!」

やっとキャッチできたこの小さな私の小さな声たち。 

そして、今ではもう、きちんと、小さな私が心を支配されそうな時には、危険を察知する能力がきちんと備わっていることも知った。

そして、支配的な関係とは物理的にも精神的にも距離を置くという方法も学べていることも知った。

そして、小さな私がきちんと自分の意思表示ができるようになっていること。

それは、旦那の妹との直接的なやり取りからも、自分の手にエネルギーが戻っていることを実感している。

彼女から、しつこくエネルギーを投げられてくることさえも、まるで、小さな私が今の私をもう一度試しているようにも感じられたのだ。

それはこんな最近の出来事だった。

今月の始め、旦那が出張で家を留守にするということを妹が聞きつけたようで、出張当日に、旦那が突然、妹の電話番号を渡してきた。

何かあれば妹に連絡しろ、と。

そして、その日の朝一番、早速、妹からもメッセージが送られてきた。

その内容はだいたいこういうものだった。

「こんにちは。何か必要なものがあったらいつでも言ってね。すぐに行くから。」

一見、いい人で模範的な文章、だと思うことだろう。

私はきっと、この文章を一年前の私であれば「ありがとうございます」と単純に受け取っていたことだろう。

しかし、今はこの文章の奥にあるこんなニュアンスを読み取っていた。

「あなたは買い物もできない無能な人。だから何でもできる私が助けてあげるのよ。感謝しなさい」という暗黙のメッセージだった。

これは、彼女がいつも自分の両親に何度も電話をかけ、干渉している言い方と全く同じだった。 

まるで、幼稚園の子供のような扱い。

それに小さな私は激しい反発を覚えていた。

その時、私は自分のエネルギーを自分の手にきちんと戻すことを意識しながら、こう答えた。

「こんにちは、お姉さん。『自分でできます』ので大丈夫です。安心して下さい。」

その後も、彼女のメッセージは止まらず、また、しつこくこんな言葉が投げられてきた。

「天気が暑いからお水飲んでね。日焼け止めクリームも塗ってね。暑かったらエアコンつけてね。お家鍵をかけて安全に気をつけて…etc」

小さな私はとても冷静だった。

小さな私は、この人にもうエネルギーを与えたくなかったようで、その要求に従って返信はしなかった。

そして、先週末もまた旦那がいない隙を狙い、妹からまたこんなメッセージが飛んできた。

「今日は天気が暑いからうちに来ない?今から迎えにいくから、うちに来て泊まりなさい。いいでしょ?」

今にも迎えにきそうな勢いの表現だった。

そしてまた、いつものように私の都合を無視した言葉、馴れ馴れしいものの言い方にカチンときていた。

しかし、私は一呼吸置いて、小さな私に質問した。

ーどうしよっか?

私、この人、大嫌いだよ!!

だって、この人、自分のことしか考えてないじゃない!!

私、そんなところには絶対行かないよーーっっ!!!あっかんべーっ!!

ーそうだよね。おねーちゃんと一緒にいようね?

うん !!!今は大好きなおねーちゃんとだけいたいんだよ。

おねーちゃん。早く一緒に遊ぼうよー。

小さな私との会話を終えると、私は彼女にこう簡単に返信した。

「私は、自分の家に1人でいたいです。」

私はこの後、とても冷静に対応できたことを、小さな私に褒めてあげた。

ー偉いね。ちゃんと冷静に自分の気持ちを表現できたね。すごいね!

肯定されたことがとても嬉しかったようで、小さな私に笑顔がこぼれた。

そして、その目はとてもキラキラと自信に満ちていた。

こんな些細な出来事が、私の変容を知らせてくれていた。

 

そして、今の私は冷静に思った。

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この家族もまた、昔の私のように自分には力がないと信じ込み、無力感、自己否定・劣等感・無価値感・罪悪感にさいなまれ、その闇の傷を見ないふりをして生きているのだろうと。

そうやって、闇の心を押さえつけ、心を押し殺し、ぽっかりと空いてしまった心を外の人からの承認で必死に埋め合わせるために「私は家族を心配しているいい人」というアイデンティティを確立した。

それにしがみつき、演じ続け、必死で我先にと親切の押し売りをし、エネルギーを奪い合い、溺れあっているのだということが。

彼らは家族という言葉の中で、本当は深い深い孤独という闇を抱えているのだと思う。

だから、そうでもしないと死んでしまいそうで必死なのだ…と。

 

しかし、今の私も、小さな私ももう分かりきっていたのだった。

この共依存の道には、希望の光はなく、もう後戻りすることはないのだと。

そして、私は今、この新しく再生した小さな私の手をしっかりと握り、この心を見守り生き続けることだけが、生き残れる唯一の光であるということを。

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気がつけば、私はもうすっかり深い夢から醒めていた。

そして、この変容を遂げている小さな私の成長を見守りながら、光の道を歩くことを固く決めていた。

私は小さな私と手をつなぎながら、こう優しく伝えた。 

『もう二度と、この手を離さないよ』