書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

こだわりの下に埋もれてた重たい想い

いつも私に深い気づきをもたらせてくれる溝口あゆかさんのブログ。

誰かのことで苦しいときは・・・ | Care of the Soul “魂のケア”

今日もまた私の中でとてもタイムリーな話題で、とても大切な気づきへといざなってくれるようだった。

また自分へそっと問いかける。

ーいつも旦那の両親や妹のいらぬおせっかいに反応し、ムカムカしているのはなぜ?

はじめに出てきた答えは「目上の人に対して、私は言い返してはいけない」という強い禁止、それをずっと受け入れ続けてたことが本当に本当に本当に悔しかった。

いつも自分の意見は後回し、遠慮、自分の口を塞ぎ「言い返さない」を選択し続けてきたことへの怒りのエネルギーがそこに渦巻いていた。

ブログでも何度も書いてきているが、私はこんなにも多くの怒りを溜め込んできたのだなと改めて実感している。

この選択は、イコール自分の気持ちを表現することを禁じ、殺し、犠牲が嵩じ、さらにぐっと奥の方へ進むと「私は発言するに値しない存在」=「私は価値がない存在」という思いにずっとずっと重いフタをしていたからだった。

そして、今、彼らの刺激によりその重いフタが開きつつある。

それはまるで長い間、胸につかえていた怒りの感情が、もう既に我慢しきれず外へ溢れ出したがって暴れているようでもあった。

そして、さらにそれをよく見てみると、やっかいなことに、本当はとてもとても大きな怒りのエネルギーが渦巻いているのに、私は怒っていないというフリをし、怒ってはならないと、それさえも必死で押さえつけてた緊張感と疲労感があった。

幾重にも重ねられた押さえつけに、もう私は限界を迎えていた。

年齢や立場で自分はいつも下、自分はいつも間違っていると思い込み、いつも言われっぱなしの弱い自分が刺激され、とても悔しかった。

私はずっとこんな支配の世界にいることをもうやめたかった。

私の本心はもうこんなエネルギー交換を望んでなどいなかったのだ。

私はずいぶん前から、この被支配者の演技をやめたがっていたのだ、と。

それとは裏腹に、長い間培った、あまりにも上手にいつも自分を殺し、目上の人の機嫌を取るという術が自然に身体に染み付いている自分が忌々しくもあった。

でも、その術は、もしそうしなければ、私はこの家を支配してる人から嫌われる、追い出される…それはここでもう生きていけないということでもあり、恐れや不安から覚えたものだった。

そうやっていつも自分は振り回され、翻弄され続け、踏みにじり、何度も消そうとし続けた自分の心。

消せるはずもない自分の心をもう一度元に戻したがっていた。

今、私は寸分の妥協もなく、全てのエネルギーを元の位置に戻したがっている。

それには長い間、支配者の世界の夢の中から覚める必要があった。

今、私は目覚めつつあるからこそ、ずっと無意識に自分を生贄として差し出していたことへの強烈な悔しさがこみ上げてきているのだと思う。

偉そうに振る舞う親、韓国の男性、年上の人たち。

いつも「支配者」にやられっぱなしの「弱くて奴隷のような被支配者」を演じ続けて生きてきたことの無念さが、今、私の心からこみ上げてきている。

そんな悪夢を見ていたことに今さらながら気づきは、自分の不甲斐なさや、強い悔しさ、涙でいっぱいなのだ。

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私は今、この下敷きになり続けてかき消されたこの感情をひとつひとつ必死で救い上げたいんだと思う。