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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

永遠に変わらぬもの

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花を育てていると、永遠になくならないものがあるのだということが否応なしに感じられてくる。

そして、花を眺めれば眺めるほどそれは確信へと変化していくようだ。

ひとつひとつの花は、時が来れば枯れ、落ちてしまう。

今までは、美しく咲き誇れば喜び、枯れれば悲しい。

その程度にしか思っていなく、ただ、その目に映るひとつの場面で一喜一憂していた感じがする。

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しかしよく見れば、その死は同時に新たな生命の始まりでもあり、そんな大きな根っこの流れの中で生と死を繰り返していることが見えてくる。

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それをさらに臆することなくじっくりと眺めていると、私もまた、この大きな大自然の循環の流れにいるのだということが感じられる。

すると、今まで「小さな私」の考えに占められていた空間がどんどんと小さくなっていく。

この「小さな私」は、自分のことをとてももろく、弱く、取るに足らない、価値のないちっぽけな存在だと評価し、それを強く信じて生きてきた。

そうやって「小さな私」は、いつも自分自身に罪悪感や心細さ、自信のなさや孤独感を向け、そしてそれを間に受け、押しつぶされるような感覚をずっと味わい、本来の自分を抑えながら生きていたんだと思う。

でも実のところは、そんな「小さな私」が考える私とは全くかけ離れた、大きな大きな宇宙の流れの中のひとつの形として漂い、変容しながら存在していることがより実感される。

そんなとてもとても大きな流れの、大きな根っこの一部であるということがなんとなくだが、ぼんやりと感じられてくる。

それを迎え入れればいれるほど、今まで間に受けていた世界からのお別れが待っていた。

それは、ずっと慣れ親しんだものへの別れの切なさ。

それもまた自然に訪れる感覚のひとつ。

これもまた、変容の最中にいる過渡期なのかと、少し離れた目で眺められる。

すると、もう既に今、目の前に置かれている状況に一喜一憂することがどんどんと減ってくるようだ。

そして、その状況という一時的な形に捉われることなく、もっともっと奥深く、永遠に横たわってものに静かに目を向けられるようになってくる。

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「私」もまた、この永遠に続く絶え間ない変容の流れの存在の一部であることが心から確信できてくる。

それがこれから、果たしてどんな「形」として現れるのかは、ただ静かにそっと温かく見守り続けてみよう。