書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

海外生活を振り返り、行き着いた場所

海外での生活の体験を振り返りながら、今改めて思うこと。

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なにもかも分からないまっさらな状態からスタートする不安感と高揚感。

そこから「愛着」というお気に入りをひとつひとつ見つけていく過程に私は魅了されていたのかもしれない。

それはモノ・場所・人・家・食べ物・経験など。

生まれ育った日本にはなぜだかどうしても愛着が湧かなかった。

なんとなく欲する前に既に用意されたものは経験ではないと感じてた。

特に若い頃仕事をしていた時は心が完全に死んでいた。

確かに物質的な不自由はなにひとつなかった。

けれども私の心はずっと物足りなさで心が枯れ切っていた。

振り返ると、そこにはきっと私のDNAにとって、大切に思っている『自分で探し出すお気に入りの経験』がどこにもなかったからかもしれない。

そしてあの頃の私は自己否定の塊で、我慢するという方法しか知らずにいた。

でも、どこをどう探しても日本というこの土地で、私のお気に入りがどうしても見つからない…。

私は焦燥感でいっぱいだった。

それと同時に、人と違う道を歩むことへの焦燥感も頭の中でグルグルしてた。

人と比較しながら、人の目を気にしながら生きてた自己否定の中でずっと葛藤していたのだろう。

あの頃の自己否定はすさまじかった。

自分をなにもかも許すことができず、何をしても心の中で自分を否定ばかりする自分の声が止まらなかった。

そんな自分の心の声に苦しんでいたことにすら気づかずに生きていた。

最後の最後、ギリギリのところまで私は我慢していた。

そして、ある時を境にその我慢で溜め込んだエネルギーが決壊した。

私はどうしても自分を諦めることができなかった。

私はどうしても自分の生命を諦めることはできなかった。

私は成長できる「土地」を探す必要があるのだと無意識のどこかで分かっていたのかもしれない。

あの22歳の頃の中国への小さな小さな一歩。

それは小さな小さな勇気だったかもしれない。

でもそこには自分で見つけ自分で感じられるかけがえのない経験という喜びがあった。

でもそれが私の小さな自信の始まりでもあった。

あの頃、誰からも賞賛の言葉などなく、とても不安定でグラグラしていた。

両親からもなんであんな国に行くのだと蔑んだ目で見られたのを覚えてる。

それでも私はどうしようもないこの生命の動きの流れに従うことを選んだ。

あれからもう15年以上が経ち、その間随分と廻り道や道草を食ったり、絶望のどん底まで落ちたりもした。

あの一歩から今、私は少しずつ、そして大胆に、外から押し付けられたものを仕方なく身につける生活を脱ぎ捨てていった。

自分が気に入った仕事を選び、誠心誠意心を込めたことが幸せだった。

自由にワクワクする仕事ができて幸せだった。

言語で心が通わせられることや、ぐんぐんと育つ生徒の成長ぶり。

全てをとことん自分で決められる開放的で自由な暮らし。

そこにはそんなキラキラした純粋な喜びがあった。

そこから気づけば10年近く教育業に携わっていた。

時は過ぎ、私は少しずつ仕事として携わる「賞味期限」が近づいていることを心の奥底では分かっていたのかもしれない。

すると私の育みたいものが変化していた。

そして、気がつけば「家庭」という自分の居場所を、愛着の湧くパートナーと築く道へと進んでいた。

それは私が真っ向から否定していた道でもあった。

生まれ育った家庭で最も忌み嫌い目を閉じ続けていたもの。

しかし、実のところ、それは渇望の裏返しだったことに今さらながら気づいた。

そして、あぁ、私はずっと居場所を探していたんだなということを知った。

そして、今はこの家庭の土台を築こうとしている。

その中で既に要らなくなった不要なものを今最も大胆に捨て去ろうとしている。

学校や家庭や社会から学んだ「誰にとってもだいい人であろう」を第一に頑張ることを脱ぎ捨てた。

外の人の目を第一に考えることもやめた。

「誰からも嫌われたくない」という恐れから遠慮してた行動ももう要らない。

好いてくれる人がいてもいなくても、私が好いてなければどうでもよくなった。 

古くなった洋服も、これから使わない仕事用の服も大胆に捨てると、親や他の人に我慢したり遠慮したり、自分を犠牲にすることももうやめたくなった。

友達という言葉のまやかしでだましだまし続けていた表面的な人間関係ももういらない。

義理という仕方なしにする慣習も捨て去った。

嫌われたくないからと自分の意見を言わないこともやめ、自分の味方でいることを選んだ。

捨てて、捨てて、捨てて、これでもかというぐらいにひたすら捨て続けた。

そうすると、私の生活は『お気に入り』が第一に上がってきた。

お気に入りの朝ごはんを並べ、お気に入りの音楽で満たし、大好きな人と食べる時間。

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お気に入りの輝きや暖かさに包まれ。

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お気に入りの美しさをみつける。

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お気に入りの飲み物で喉を潤し、お気に入りの食材で好きなものを作ったり。 

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お気に入りのお花を育て眺める日々。

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お気に入りの散歩道を静かに歩く時間。

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私の足で探し、見て感じて集めるお気に入りの時間は喜びに溢れている。

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そんな『お気に入り』というひとつひとつの積み重ね。

そんな積み重ねが凝縮されたこの家庭こそが、私の宇宙そのものであり、常に変わり続ける完璧な作品。