書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

怒りから見えた大切な想い

春の季節。

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オーストラリアの桜もまたよし。

最近は、気がつけば鳥が増えてきた。

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こんな、子育てをしていたり母鳥にくっついて一緒にいる姿は見ているだけでとても和む。

しかしながら、鳥は思っていた以上に攻撃性が強いことを都会育ちの私は今さらながら知った。

ある日、窓越しに雀ぐらいの小さな鳥がカラスに必死で攻撃している姿を見た。

一方、カラスは全く意に介していない様子。

その姿を見ながらぼんやりと思っていたのが、あぁ、これは「恐れ」からくる行動なのだろうか…と。

小さな鳥の方がより攻撃性が激しい感じだった。

その時、私はその光景から「自分が弱い」ということを信じていることの裏返しなのかなぁいうことをぼんやりと思っていた。

あとで見ると、その小さな鳥はうちの駐車場に巣を作っていた鳥だった。

それで繋がってきたのは、自分にとって大切なものを奪われるかもしれないと思う恐れから攻撃という方法を取るのだということだった。

それは自分の「居場所」や「子供」という大切なものなのかもしれない、と。

それを見てると、表現はどうあれ、健全な怒りかもしれないと思えてきた。

鳥は常に家もなく、自分が決めた場所に巣を作り、不安定な場所にさらされる。

だからこそ、四六時中緊張感で張り詰めている。

常に強いられた緊張が、抑えられない怒りに変わり攻撃という形として現れる。

そうこう考えているうちに、私自身と重ねていた。

環境を変え色んなものが新しく変わった私もまた、この鳥のように緊張状態がしばらく続いていたのかもしれないなぁ、と。

緊張を少しでも緩めれば、誰かがいつの間にか侵入してきそうな…そんな気持ちをその姿に重ねていた。

それは新しく家族という言葉でくくられた全くバックグラウンドの違う存在…旦那の妹だったり、両親だったりした。

それは見えない緊張感でいっぱいだった。

私の居場所が奪われるかもしれない。

私の空間と時間が奪われるかもしれない。

そして私もまた怒りに狂い、批判という攻撃や怒りをあらわにしていたのも、自分を立場が弱い存在と信じていたり、とても大切な生命そのものを奪われるかもしれないという恐れから必死に守っていたのかなと思った。

ずっと自分の大切なものを無視して、あっさりと他の人に明け渡そうとしていたことに腹を立てていた。

でも、私はずっと抑えていた。

家族なのにそんなことを思ってはいけないと自分に禁じて、本当の本当の「本音」を抑えて、その怒りを増幅させていたのだった。

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あぁ、自然はいつでもなんでも私に教えてくれる存在だ。