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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

「なんで?」の奥に詰まった想い

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物心ついた頃から、ずっとずっと疑問に思っていたことがある。

それは…。

「なぜ、この夫婦は離婚しないのだろう…」

毎日、こんなにいがみ合いながら、どうして同じ屋根の下で暮らすのだろう。

そんな風に思っていた。

そんなことから始まり、私の心の中には本当にたくさんの「なんで」が眠り続けていた。

 

「なんで私を叩くの」

「なんで私を追い出すの」

「なんで私が悪いの」

「なんで分かってくれないの」

「なんでこんなに怒鳴るの」

「なんでいつもこの人は怒るの」

「なんでいつもこんなに悲しいの」

「なんで私を無視するの」

「なんで私のことは見てくれないの」

「なんでいつもこんなに泣いちゃうの」

「なんでこの人はいつも機嫌が悪いの」

 

この疑問を持った場面の瞬間から、私は恐怖のエネルギーで一時停止し続けていたような気がする。 

なぜなら、この小さな私が抱いた「なんで」の原因が一体なんなのか探る術はなく、いつも暴力や暴言などの圧力で黙殺されたからだった。

そんな私ができることは、ただ沈黙を守ることだけだった。

でも、そんな私の「なんで」の癖は、成人してからも頭の中でずっと色んな人に向けて使い続けていたようだ。

その、究極の問いは「なんで私は生きてるのだろう」だった。

この答えもまた、見つからないわけだったのだが、私の中では、いつもこの問いが頭から離れることはなかった。

 

「なんで?」

「なんで?」

「なんで?」 

 

今、その「なんで」の奥に詰まっていたエネルギーがゆっくりと動き出したがっている。

そのエネルギーの引き出しが突然、私の目の前に現れた。

それを今日は、ゆっくりと目をそらさず開けたみた。

すると、その「なんで?」の奥には切実な想いがところせましとビッシリと詰まっていて、それが一気に飛び出してくるようだった。

暴力や暴言による、心と身体の傷と痛み。

痛みが継続することの辛さ。

辛さにじっと必死に耐えた苦しみ。

この苦しみを誰にも打ち明けられない寂しさと孤独感。

痛みを与えた人への憎悪。

親に憎悪を感じたことへの罪悪感。

この痛みを感じるまいとする悲しみと憤怒。

こんなたくさんの矛盾した想いを抱えたやるせなさ…。

愛されたかった人に大切にされなかったことへの無念さ…。

 

その、ひとつひとつがどれも本当に痛くて、認めたくなかった想いたち。

それをよく診てみると、この「痛み」から始まったたくさんの想いは、雪だるま式にどんどんと大きくなっていったようで、それはまるでひとかたまりのエネルギーとしてくっついていた。

それと同時に、私はある場面を思い出していた。

それは、私が幼稚園の頃、給食が冷たくて食べられなくてとても嫌な思いをしたワンシーン。

あの時の先生はとても怖く、私は怒られたくなくて必死だった。

その時、私が取った行動とは、人に見られないようにそっと残した給食を机の引き出しの奥にギュッと押し込んだ。

まるで、その時と全く同じような方法で、この認めきれなかった、痛くて受け止めきれなかった想いのかたまりを、心の引き出しの奥の奥にギュッと押し込むようになっていった。

初めはとても簡単だったかもしれない。

でも、どんどんのその想いのかたまりが大きくなっていくうちに、スペースがなくなり、それを無理やり押し込むには、それなりのエネルギーを要した。

さらに、そのかたまりは押し込んだ後に飛び出しそうだったので、強力な「ストッパー」が必要だった。

そのストッパーの役割こそが「無感覚」「無関心」「無表情」「無感動」だったようだ。

そのうち、私は無感覚を保つためにエネルギーを注ぐようになった。

そうこうするうちに時間は過ぎていき、私の感情や想いは、まるで私には全く関係ないことのように本当に思えてきた。

その無感覚という感覚に浸れば浸るほど、本当にそれはひとごとであるかのようになり、その代わりとして「なんで」という問いを頭の中で繰り返すようになっていった。

私はもっともっとこの無感覚の世界に深く深く入り込む必要があった。

それには、この身体と心を「麻痺」させることを学習した。

それが、お酒やタバコ、仕事、人間関係などだった。

あの時、私にはこれらのものを利用する必要があった。

さらに、私はもっともっと感じなくさせるために取った行動は、たくさんの思考や論理性の情報に浸かることだった。

ニュースやインターネットや本などの情報にまみれ、いつの間にか思考の海の中を上手に泳げるようになっていた。

さらには、アイデンティティも振りかざし、それは見た目にはとても正しく、とても強力な武装のように見えた。

しかし、自分を嘘で塗り固めてきたとしても、完璧な忘れたフリであって、心の片隅ではしっかりと記憶されているようだった。

だから、私はもっと忘れたかった。

だからこそ、私は徹底的に忘れる必要があったし、そのために必死だった。

でも、今、改めて思うのは、私自身がとても繊細で感じやすい人間であったからこそ、無感覚でいることを選んだのかもしれない…とも思う。

 

あの頃…。

あの小さかった私は、自分がとても弱い存在だと信じ切っていた。

身体の大きさ、声の大きさからしても違う大人を目の前に、あの大きなエネルギーをまともに受けてしまったのならば、きっと私が壊れてしまうと信じていた。

それは私にとってはまぎれもなく「死刑宣告」だった。

もし、あれをまともに受け止めたならば、私はきっと死んでしまう…。

そう小さい私が信じた、精一杯の方法だった。

もしかすると、これも私の中で、ただ、意味をつけたがってるだけなのかもしれないが…。

でも、ひとつだけ言えること…。

ひとつだけ言いたいことは…。

なんて必死だったのだろう…と、震えて丸まってる小さな私の手を握ってあげたい。

とても繊細で敏感な小さな私の心を汲み取ってあげたい。

とても美しく繊細なこの心を、大切に大切に拾い上げてあげたい。

私は何よりもこの気持ちを汲み取ってあげたい…。

ただ、それだけの想いでこれをひたすら書いている。

 

そして、今の私が思うことは…。

器はもう十分に大きくなっていた。

…いや、私の器は昔から、そして今もこれからもずっと壊れるものではなかったんだという確信。

だから、もう一度声を大にして自分に言いたい。

 

私は決して壊れるはずのない存在。

私は小さな私の心をも全部まるごと受け止められる存在。

私は小さい私を何があっても守れる存在。

この心にもう一度、血を通わせられる存在。

この心にもう一度、愛を浸透させられる存在。

そして、何度でも言いたい言葉。

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『私はこの身体と心を感じて生きたい』