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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

心の重いフタに気づく

心にフタをしていた中でも、とてもとても重いフタがあった。

そのフタは私の前に立ちはだかれば、取りつく島などない状態。

『比較のフタ』

「あの国なんかよりはましなんだから、感謝しなさい」

「あの家庭よりはましなんだから、我慢しなさい」

「まぁ、みんなそれぞれ辛い思いしてるから…(我慢したら?)」

「あの人と比べれば健康なんだから…」

「あの会社よりはお給料がいいんだから…」

我慢のためのとっておきの方法だった。

もともとは私の命をつなぐために行ってたことだった。

幼い頃に私の生命をつないでくれるのは両親だった。

その両親から認められるため、必死だった私。

生命をつなぐために必死だった。

我慢に我慢を重ねて、とにかく我慢のためだけに努力をだけをしてた。

我慢を強いられる環境であればあるほど、当然我慢は必要だったこと。

今は、この我慢に随分とエネルギーを注いできたことも今はよく分かる。

こんな我慢が続けば、当然のことながら自分の心などもちろん置き去りにして、自分を尊重する心なんてものは育つはずがなかった。

私もまた、あるはずの自分の感情をすっかり忘れながら生きてきた。

すると、自分は今はどう感じてるのかすら分からなくなる。

生きてる実感がなかった。

そして自分のことが分からないことに対するいらだち、罪悪感、嫌悪感…。

悪循環のループがずっと続いてた。

自己肯定感の低すぎる私にとって「人の役に立つ」「他の人からみた時の、いい人でいる」ということが最も大きな関心ごとだった。

私自身はおろか、他の人の肯定すらなければ私は存在している意味がないと烙印を押されるのが怖かった。

すると、心の中は他人で頭がいっぱいだった。

こうやって私はどうでもいい他人やどうでもいいことで、私の空間は支配される人間になっていった。

「私の意見は聞くに値しない」「私には力もなければ、価値がない」と何度も何度も自分にいい続けてた心の影だった。

人の意見はなんでも聞こうとするのに、自分の意見は頭数にいつも入れてない。

当然のことながら、私はこれが好きとか嫌いとかが入り込む余地はない。

自分で自分を仲間外れにする状況だった。

どおりで「仲間外れ」「無視される」「尊重されていない」「否定される」という状況に怒りの沸点が低かったのか。

そして今知りたいのは、この重い重い我慢のフタが必要なくなるのはどんな状況なのだろう?

自分に質問してみた。

『今、「私は」なにをしたい?』

『今、「私は」どう感じてる?』

「私」という主語を意識した質問を四六時中自分自身へ向けてみる。

きっと、初めは反応は鈍いだろう。

何も反応がないようにも感じるだろう。

でも、何度も何度も何度も優しく聞いてあげる。

きっと今までさんざん我慢しててただ心が錆び付いているだけだから。

何度も何度も根気よく訊き、本当に初めは小さく囁く声に耳をよく傾ける。

反応がなくてもがっかりせず、何度でも根気よく訊いてあげる。

そうやって心の声が口を開くまで時間をかけて待ってあげる。

そう丁寧に自分の声を扱い、自分にとっての好き・嫌いという絶対評価をもう一度探っていく。

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きっと、何かが変わると思う。

必ず、何かが変わっている。

だって私には、復元できる力が十分に備わっている。

誰にでも、すごいエネルギーが満ちていることが分かっているから。