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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

「ダメ」をわざわざやること

学生の頃から、わざと「ダメ」に挑んでたところがあった。

まぁ、今もそんなところはある。

ダメと言われると過剰な抵抗感から、敢えてやろうと血が騒ぐ。

なぜなら、私は知りたかった。

ダメをやったら、果たしてどんなことになるのだろう。

それを私の目で見たかった。

私の身体で感じたかった。

そっちの方が私にとってもっと大切だった。

学生の頃、先生に黙って秘密の文集を作った。

大学の頃、親に黙って家出した。

恥ずかしいほど酒に飲まれ、タバコを吸った。 

付き合った人と私から別れておきながら、またすがりついた。

世間では「ダメな人」と恋をした。

ダメなことは、身体とお金の代償が伴った。

でも不思議なことに、どれも後悔はない。

そこには、ダメを超越する、私の強い意思があったから。

そこに私を感じていたから。

生きてる感じがしたから。

幸せな感じがしたから。

あの時は、そうやって生きてる感覚を探っていたのだろう。

結局のところ、とてつもなく無感覚だった私は誰よりも感じていたかった。

私はこの身体と心を感じ続けたかった。

すごくすごく、生きたかったこと自分のエネルギーの強さに驚く。

生きるというエネルギー。

それは、いつでも、どんなことも感じたくて、感じたくて、感じたくてたまらないその感覚だった。

そんな感じるエネルギーという血は絶え間なく循環され、ありとあらゆる方法で表現され、動き、そして消えていっているように見えてきた。

それは時に怒りかもしれない。

それはまた罪悪感かもしれない。

それは喜びなのかもしれない。

それはいらだちかもしれない。

それは穏やかさかもしれない。

また、それは虚無感や退屈かもしれない。

またそれは達成感かもしれない。

でも、そのあらゆるものを、無差別に、ただただ、その瞬間の感覚を味わい感じたがってるだけなのだ。

ただ、純粋に感じたがってるだけなのだ。

我慢したり、責めたり、ダメという感じなくさせる逆流をも越えつつ、ただ素直に、そしてとても純粋に感じたがっていただけなのだ。

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そんなふうに世界をもう一度見渡せば、その血が騒ぐ方向を感じ、「世間の流れ」に自分を我慢させ逆流させることなく、最も自然に流れる方向に流してみたくなった。

その限りなく感じる世界を、私は、感じていたい。