書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

比較が必要なくなる時

家庭では兄弟、学校では同級生、会社では同僚…。

生まれてから成人までの長い間、私の意思とは全く関係のないところで、常に比較というランキングにエントリーされ、見えない競争の中に立たされていた。

私の場合、日本という物理的に便利で先進国と呼ばれる場所にいながら、身体と心の暴力の傷から抱えた自己否定と閉塞感、さらにこの「比較」という重しがその上に重くのしかかり、そこで生まれた感覚は「生きづらさ」だけだった。

それ以外の感覚があることなんて分かるはずはなく、それ以外に存在するスペースすら許されることなかった。

成人してからもずっとこの瀕死状態から抜け出せず、その時に私が考えついたのは、きっとどこかに別のものがあるのではないかという発想だった。

生きづらい場所から逃れたくて、成人したことをきっかけに家を離れた。

そして、民族という言葉への憧れから日本を逃れ、韓国へ留学するという方法を取った。

それもこれもきっと、家庭や国では得られなかった「温かさ」を欲しがるがゆえの行動だったのだろう。

今ならその気持ちがよくわかる。

しかしながら、結果は同じだった。

家を出た後は、やはり孤独感がつきまとった。

そして、皮肉なことに同じ民族である人びとは温かさはおろか、無関心という冷たい空気、彼らの目に映る私は韓国には生まれてない純粋なものではない扱い、北朝鮮の教育を受けた恐ろしい存在、と言った感じで見られた。

忌み嫌うかのように私を遠ざけようとする態度にあの時、心から幻滅した。

一番分かってほしい親に愛されない苦しさ。

一番温かく接して欲しい母国からも愛されない痛み。

あの時、私は結局、全く同じ痛みの感覚を味わっただけで、傷口を自分でまたえぐったかのように深まっただけだった。

人を信じられるはずなどなかった。

私はただ、もうどこにも居場所がないことだけが分かっていたが、かと言って一体どうすればよいのかも全く分からず、心がポッカリと空いた。

それでも、私は悪あがきをし、遠回りの道を歩いて行った。

その後、私の中では、きっともっと他のどこかに受け入れてくれる環境はないものかと、やぶれかぶれで中国という土地に住むことを決めた。

そこは、中国の朝鮮民族の人びとが住む土地だった。

同じ民族、そして、私のように異国で育った人にもう一度希望を寄せる方を選んだ。

でもその時は、韓国へ行く時よりは少し冷静だったのかもしれない。

たまたま中国語を学んで、韓国語も知ってるということから、日本語教師という仕事の機会を得た。

その時はただ、必死だった。

とにかく自分の居場所を作りたくて必死だった。

その中国という立ち位置で私が見えたものとは、絶望の裏側にあった希望の側面だった。

それぞれの国や環境で全く異なる価値観。

中国では、とにかく自分の価値観をことごとくひっくり返され、それが私の胸のつかえを一気に取り去ってくれた。

「親のように、怒ってはいけない」そう固く信じてた私の目の前では、どこもかしこも大きな声で怒鳴ってる姿。

「銀行員は冷静に対処するものだ」そう固く信じてた私の目の前で、換金したお金とパスポートを投げつけるように渡される。

「人に迷惑をかけるものではない」そう教えられた目の前で、列に並ばず我先にとバスに乗り込む人々…。

その姿を日々、ある意味ではとても失礼な態度を目の当たりにしながらも、私はなぜか腹の底から笑い、喜んでいた。

この時、価値観は場所が変われば変わってしまうどうでもいいものだったと実感した。

すると、そんなどうでもいい価値観にこだわって、苦しみ悩んでいた自分にも笑えて、完全に自分の縛られてた考えから解き放たれた。

その時、やっと息ができたような、生きている感覚がやってきた。

それは、自分がとても許されているような気がしてただ嬉しかった。

そして、中国での生活は、知らず知らずのうちに有難いと感じる力がついていた。

それを最も感じたのは日本に戻った時だった。

そういう意味では、比較は瀕死状態の私にとって生きた心地がする、ありがたい方法だった。

なぜならずっと「私には生きてる価値がない」という思いを持って過ごしていたことにすら気づけないまま生きてた。

だから、比較でもしないととても不安で、そんな風にしか自分の存在を確かめずにはいられなかった。

比較という方法は瀕死の私にとってはある程度長持ちもしたし、それなりに役に立った。

しかし、時間は経ち、また私も色んな変化が訪れた。

今はもっと余裕が生まれ、どうやら比較から幸せを感じるというのは、単なる一時的なまやかしに過ぎないと気づいた。

瀕死の私にとっては比較は役に立ったが、心が回復するに連れて、比較はすぐに私の立ち位置を脅かし、段々と私にとって不安定なものになり得てきた。

それはきっと昨日のブログでも書いた○○よりはましだからと、したいからと、そして… - Earth Angel Light発想だったからだと思う。

なぜ、そんなことを思うのかと言えば、少しずつ癒されながら空いたスペースに、「純粋な好き」というエネルギーが流れ始めていた。

そしてその「純粋な好き」に、比較というものは存在しないことに気づいたからだった。

「純粋な好き」は、ただいつもそこにあり、触れるたびに感じる純粋なエネルギーに心が修復されていた。

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どんな花も毎日見ていて飽きなくて好き。

お気に入りの洋服はいつ着ても私の心がごきげんになる。

お気に入りのマッサージ師さんにマッサージをしてもらうと、いつもスッキリして気分がよい。
お気に入りの家の中は真っ白な壁で、モノが少なくスッキリしてる状態を見るといつも心が洗われる。
バスソルトを入れて、ゆったりと湯船に入ることが、ただ癒され温かくて好き。
赤ちゃんの動画を見るのがとにかく大好き。

旦那と妹はいつも深く受け止めてくれる感覚がとにかく好き。

ライブの振動の感覚がたまらなく好き。

こんな「純粋な好き」にはただ突き動かされる力だけが存在し、どこをどう探せど、比較が入り込むスペースがないのだ。 

自分の心がズタズタになりながら、その傷口すらどこなのかを探らなかったのにも訳があった。

「私には生きる価値がない」という価値観。

でもその価値観すら、夢だったことに目を覚ます。

今の私には、その価値観は夢であって目を覚ます力も持っていた。

そして、余裕のできたそのエネルギーで傷口をしっかりと自分で診てやる。

そして、傷をしっかりと手当てするために、自分だけのためだけに感じる時間を十分に取る。

泣いてもいい、わめいてもいい、怒ってもいい、暴れたって、なにをしたって許して、許して、許す。

どんな自分でもとことん向き合い、徹底的に昔の自分とその感情を分かち合う。

すると、どんどんと傷口は癒され、どんどんと、生きた感覚が甦っていく。

すると、常に自分こそが自分の最大の味方となり、肯定し、そして自分を慈しみの感覚で覆われた。

とても暖かい。

とても救われる。

そのどれよりも嬉しいエネルギー。

こんなに恐怖に包まれ、辛抱強く我慢していた自分をただ、抱擁という温かさで包み込む。

幼い頃から生きる意味を探し求めていた理由。

それは、ずっとずっと、早く大きくなって、誰よりもこの死にかけてた自分を一日も早く私の手で救ってあげたかった。

そして、誰よりも強い味方になってあげたかった。

そして、私は誰よりも純粋なエネルギーで生きることを強く望んでいた。

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私はきっと、生まれ変わる。

私はきっと、生まれ変われる。

私は必ず、生まれ変わる。