書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

○○よりはましだからと、したいからと、そして…

私の行動を追っていくと、主に二つの動機で動いていたことに気づいた。

ひとつは「○○よりはましだから」という動機。

もうひとつは純粋に「したい」という意思が明確な行動。

たとえばこんな感じ。

嫌われるよりはましだから…と参加してた義理の家族との食事会。

時間はまぁあるし、「みんなが行くから」とあまり乗り気ではない集まりに行くこと。

暇や退屈よりはましだから…とブラブラと外にでかける時間。

その場では判断できないから迷ったまま「とりあえず」と選ぶこと。

これらはなんだか心が重い感じがして、決めるまでの時間も先送りにしたくなる感覚。

こんな感じで行動したあとは、どこかで怒りが残っている。

意思ある行動はとてもシンプルでクリア。

それでいて軽やかなので、気がつけばもう動いている感覚。

たとえば。

BigBangのコンサートに行きたい!

もしくはもう行く!と決めてる状態。

お花の写真を撮りたい!

眠りたい!

お風呂に入りたい!

散歩したい!

掃除したい!

書きたい!!

なんとなく「!」をつけてしまいたいぐらいエネルギーが満ち、そして行動したあと充実した時間が広がる。

きっと、今までならばきっと、良い悪いという着地点で「じゃあ、全部意思を持って行動しよう!」という結論で終わってたはずだろうが今はちょっと違う。

今日はそれよりは「なんで私には動機が二つに分かれているんだろう」という、またひとつ、自分を知るための質問をしたかった。

…やはりたどり着く先は「心の痛み」。

私の中でNoを言ってはならなかった理由。

Noを言えば叩かれたり、叱られる。

痛いぐらいならば、我慢する。

怖い想いをするぐらいならば、やらない。

否定されるぐらいならば、否定されないことを選ぶ。

こんな繰り返しが「他の人を軸に我慢するというパターン」として癖になっていたことをまたひとつ優しく知ることができた。

私にとってずっとずっと大切だったのは『私は生き延びるため、必死だったんだ…』という心の方だった。

それを自分の手で突き止めるうちに、心がフワッと、そしてあたたかさが広がる。

これからもきっと、また迷ったりして選んだことにもやもやすることだろう。

そして、ある時は意思を持って行動できたことが嬉しいこともあるだろう。

どっちがあったとしても。

ただじっとその気持ちを感じることを選びたい。

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こんなに傷だらけになりながらもなお、希望をなくさず、ひたむきに感じようとしている自分がたまらなく愛おしい。

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そして、広がりつつある空間がたまらなく嬉しい。