書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

癒されたくなかった想い

講演会、セラピー、リーディング、コーチングなどなど…。

自分もある程度それに関わる仕事をしたこともあったので、結構興味があることなのに、一対一のセッションを受ながら、とても厳しく繊細にそして敏感に相手を観察し、そしてそこにあった「密かなる反抗心」を見つけた。 

ある時のできごと。

私がひとことふたこと話したあと、相手はすぐに口を塞ぐようにして、矢継ぎばやに、そして延々と自分主体でしか話してないように感じた。

取り残されてるような感じがしてとてももやもやした。

会ってまもない人が、私の事をあたかも何でも知ってるかのように語ろうとしている感じがしてすごく嫌だった。

私のことを全然知らない人が、何も聴かず、何も見ず、勝手にその人の幻想の中で私のことを語ってる感覚がとても不愉快に思えた。

会話中にそれを敏感に感じ取ると、私はただおとなしく黙って聞き、心のシャッターをさっと下ろしていた。

心の中では、お金を支払ってそして一番大切な時間も使ってなんて無駄なことをしているのかと、はらわたが煮えたぐり『ぜーったい、あなたなんかに癒されたくない!』と心を頑なに閉ざした。

30年以上長い間抱えてきたものを、ものの数時間で、ちょっと覚えた知識や概念をふりかざして「はい、これが正解!受け入れなさい!」といったような「心に寄り添わない感覚」や威圧感がとてつもなく嫌だ!と思った。

ずっとそんなことを感じちゃダメだと自分を制していたけど、それは自然に湧き起こることだから十分に感じてやろうと思えるようになった。

今までの私ならばきっとただ権威のある人の意見が全てだと受け入れていたと思う。

そして、とても胸が痛くて恥ずかしいけど…ある場面では私もまたそんな風に人に意見を押し付けていたのだと思う。

そのできごとはきっともうそんな自分はもういらない!ということを映し出してくれたんだと思う。

だから、私の癒しに付き合ってくれる人は、すごく怒ってたこと、ムカついていたことなど、感じたことなど、まったくのタブーなしに一緒にそして十分に感じてやれる人を求めてることに気づいた。

私の中の「気持ちに寄り添ってくれないあなたになんて癒されたくない」という気持ちをまず受け入れて尊重する。

今まで相手を優先、相手が正しいとなんでも受け入れて、相手に合わせてたけど、それは最も自分を癒せない行動だったと気づけた。

だから、改めてまずは私が、この頑固で頑固な私の聴き手になろう。

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そして、その頑固な彼女と一緒に歩きながら、みずから自然に心と口を開くまで待つ。

みずからの手で心の傷を癒す旅を歩みたい。

それが私のニーズだった。

ずっと私は、最も一緒に歩み、心に寄り添い信頼できる「私」に一番癒されたがっていることを知らせてくれた。