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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

『できるけどしたくないこと』の気づきと癒し

ずっと「できること」ばかりを中心に行動していた私の物語。

私は長い間、心にあった「したいこと」をまったく無視し、排除してきた。

その出発点は「私には生きている価値がない」「私には力がない」という自分の思い込みからだったと思う。

居たくもない環境に居続けているうちに心は疲れ、続けたくもない主従関係を続けるうちにだんだんと嫌だと言えなくなり、次第に意志がなくなっていった。

いや、どちらかといえば私は意志なんて大それたものを持ってはいけないとさえ思ってたかもしれない。

好きでもなんでもない勉強だけど、成績がよければきっとバカにされないかもと目的も分からず勉強していた。

好きでもなんでもないけれど、嫌われたくない、無視されたくないという理由だけで同級生と遊んでいた。

そして、好きでもなんでもない無難な服を選び続けた。

できるけど、なんの思い入れも感情も湧かない仕事をし続けているうちに、どうでもいい人間関係だけが増えていった。

さらにそんな仕事のどうでもいいひとに嫌われたくないという理由で、行きたくもない誘いで、飲みたくもないお酒に飲まれていた。

そうするうちに、飲みたくもないのにお酒やタバコが手放せない状態になった。

時間はあるけど、特段、その誘いに乗り気がないのに断れないという理由で無理やり行った。

こんなふうに気がつけば、こんな「意志のないどうでもいい決断」はどうでもいいものや人ばかりが私の周りに集まり、時間や空間を占めるようになっていった。

そしてそれもずっと根底に流れていた「私には力がない」という被害者意識で仕方ないと諦めていた。

長い間、本当はとても嫌がる私をずっと無視して外側のひとばかりを優先してたことが、怒りのエネルギーを蓄積させていった。

私はまだこの「怒りの時限爆弾」を抱えていると思う。

現に今も自分でも驚くぐらいのヒステリーや怒りを爆発させてしまうことがあるのだ。

そして、今でもその日に何を食べたいのかすらも分からないことがあるし、人に誘われることも断るシチュエーションがとても嫌な感じがしている。

そんなふうに迷ったり断れずにイライラすることもあるのだが、それでも今は時間をかけてでもきちんと「私は今日は○○を食べたい」「私は○○がしたい」という回答が出るまでじっと待てるようになったと思う。

きっとまだ「○○したい」という心の声を聴く能力がかなり鈍っているのだろう。

だからもっともっと時間をかけて注意深く耳を澄まし、聞こえてきたら全力で「うん、いいよ!」と自分に向けてイエスと言ってやりたい。

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それが、今、私が抱えている怒りの時限爆弾を捨て、笑顔になれる唯一の方法なのかもしれない。