書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

アイデンティティの看板の裏側に書かれてたこと

「私は在日コリアンだ」

「私は長女だ」 

「私は30後半の女性だ」

「私は朝鮮籍を持っていた韓国人だ」

「私は朝鮮学校卒業生だ」

「私は大学を卒業した人間だ」

「私は中国語と韓国語が話せる人間だ」

「私は自立した女性だ」

「私は花を愛する人間だ」

「私の家庭は機能不全家族だ」

「私はアダルトチルドレンだ」

「私は虐待された人間だ」

「私は会社で1000人以上、教えた経験のある人間だ」
「私は色んな国へ行き住んだ経験のある人間だ」

 などなど…。

「私は…」のあとに続くアイデンティティという名の無数の看板。

これは明らかに外の世界に向けての看板。

時間とともに、状況に応じ、さまざまな看板を忙しく取り替えてはまた背負い、その外向きの看板と自分とを無理やり同一化しようとしてた。

その看板の裏側には、どんな心の叫びが書かれてるのだろう…。

優しく自分に問いかけた。

すると、まるで玉ねぎの皮がひとつ剥けたようにそこには「自分」という実体がなんなのか分からず、怖くて怖くて仕方ないという「不安」が残ってた。
あまりにも不安すぎるがゆえに、人とは違うということを「個性的である」とアピールして、必死に自分の存在を確認しているかのようだった。

不安で不安で怖いからこそ、アイデンティティを掲げずには生きていけなかったような気持ちが正直に書かれていた。

ーさらにその下に眠っているのはどんなあなたなの?

またそっとひとつ質問してみた。

するとまた、スルリと玉ねぎの皮が剥がれた。

またそこに書かれてたものは「私は存在する価値がないのではないか」という私の生命を脅かされそうな問いだった。

ーでもなぜ、あなたはその疑問を持つのかな?

また皮が剥がれたその先に書かれていたのは、私のひとつの物語だった。

それは「自分の育った家庭の物語」が私を苦しめていた。

幼稚園の頃、わけも分からず狂ったように親に殴られたことの身体と心の痛みが今も忘れられずにそこにあった。

幼稚園の頃、友達がいる前で服を脱がされ裸にされ、布団叩きで気を失うほど思い切り殴られたシーンが甦る。

痛いのにまだまだずっと続くその暴力に、私は気が遠くなり心が凍った。

なぜだったか記憶していないが、幼稚園の頃に私は家を追い出されたこともあった。

行く当てもなくどうしようかと幼いながらに考えた末、唯一お世話になっていた遠く離れた親戚を訪ねようと、自分なりに覚えていた道でとぼとぼと歩いて行ったこと。

暗い夜道、ひとりで急な坂道を歩いたことがとても悲しかったことを思い出した。

お風呂に入るときも、母は時にとても乱暴にシャワーをかけてきた。

また、ある時は味噌汁をこぼしたからと思い切り平手打ちされたこと。

小学校の頃、宿題がなかなかできないからとソロバンが割れるほど殴られたこと。

夫婦喧嘩のたびに、半狂乱になる母。

テレビの大音量で眠れなかったこと。

喧嘩の時は決まってありとあらゆるものが散乱し、お皿の破片が飛び散った家の中。

夫婦喧嘩の度に、父親を探せと私たち兄弟は追い出され、朝まで父の事務所で震えながら待っていたこと。

私の家庭はこんな風に日常的にさまざまな暴力が行われていた。

さらに私はそれを決して外には言ってはならないという暗黙の了解があり、それが更に苦しかった。

私のなんどもなんども叩かれるうち、母が心の底から私を憎み疎んじているのではないかという疑問や、身体の痛みや心の悲しみを覚えていた。

愛してほしかった人にたびたびなぐられる。

とても認めて欲しかったひとになぐられる。

これほど悲しく辛いことはなかった。

そんな痛みがしくしくと泣いていた。

そして愛してほしいひとに愛されず、なおその場所に留まって生活しなくてはならないという痛みと苦しみ。

そんな場所にいると「私には居場所はない」としか理解できなかった。

でも、幼かったころはそんなことも言えず、ただ黙って耐えた。

そんな私はいつしか黙って心を凍らし、心を固い甲羅で閉ざすしか方法が見つからなかった。

こんな時にいつも決まって出てくるこの喉の締め付けは、きっと言いたいことを言えず、呑み込んでいたことを表しているのかもしれないと思った。

こんな風に、私の身体と心には長年の苦しみと痛みがずっとずっと瀕死の状態のままじっと横たわっていた。

それが私の存在に価値がないのではないかと疑問を持ってた理由だった。

そして、こんなに痛く苦しい日々が続くうちに、自然と人生と生きる意味を求めていたことにもつながっている気がした。

 

たまたまお椀をひっくりかえしたという失敗で殴られた子供がその体罰で覚えたことといえば「私は失敗してはいけない」という緊張感だったろう。

宿題がなかなかできないからと、そろばんが割れるほど殴られた子供が身体で覚えたことといえば「私はバカだ。私は出来が悪い」という徹底的な自己否定と自分いじめだった。

わけも分からず、親の鬱憤を晴らすために殴られた子供はどうしたって自分に自信など持てるはずはない。

 

それでも親の温かさを求めていた。

それでも親の肯定と承認が欲しかった。

それでも親の愛が欲しかった。

それでも親からの褒め言葉が欲しかった。

 「私は親から愛されたい」

「私は親からの認めてもらいたい」

「私は親からもっと大切に扱われたい」

 

そんなずっと言いたくても言えずにいた私のニーズがそこにあった。

でも、今の私はこう言い換えるだろう。

「私は私に愛されたい」

「私は私に認めてもらいたい」

「私はもっと大切に扱ってもらいたい」と。

 

だから今、それを感じてることをもうこれ以上「それは昔のことだから」や色んな理論などでフタをして否定したくない。

今、そう感じて、そうなっていることはそれが今とても完璧で自然なことであると言いたいのだ。

その全ての感覚に居場所を作り、その感覚に好きなだけ時間をあげたい。

「本当によく我慢してきたね。でも大丈夫。ここは安全だし、ここはいつでもいてもいいよ。」

「その子」のためにそんな言葉をかけてあげたい。

「その子」に安心した居場所を作ってあげたい。

「その子」のためにただ、一緒に泣いてあげたい。

「その子」がなにをしたとしても、許してあげたい。

「その子」が悲しさをぶつけてきてもこの両手でしっかり受け止めてあげたい。

「その子」が不信感を持っていても、それでも愛していると言ってあげたい。

「その子」が震えていたら、ぎゅっと抱きしめてあげたい。

「その子」がこれからも固まってしまっても、変わらなくても、私はそれでもいいよと声をかけてあげたい。

 

「その子」はそのぐらいとても大きな、とても深い傷を負っていることを心から認めてやりたいのだ。

瀕死状態から今までこうやって生き抜いてくれたことを心から感謝したいのだ。

これから先、この心の傷が治るかどうかは全くわかるすべはない。

だけど今はその子の側について、その傷口にじっと光を当て続けてあげたいのだ。

「その子」はそのことは今まで誰にも言わず一人、なんて我慢強くそしてじっとあの痛みと苦しみをこらえていたのだろうかと思うと、とても愛おしくてたまらないのだ。

だってあの苦しみと痛みは、今の私以外に一緒に理解して分け合える人はいないのだから。

だからじっと温かくずっとずっといつまでも寄り添っていてあげたい。

私が私に最も優しい親になり、その子を育てよう。

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もう役に立たなくなったこの外側のアイデンティティの看板は早く下ろして、内側にいるその子と思い切り遊んであげようと思う。

そして、看板の裏側に書かれていたものを、そっと書き換えた。

「私の居場所は私が作れるし、私の存在価値は、私が決められるし、私が意味を付けられるし、私が認めてあげられる」

今は色んな感情に呑み込まれず、それに気づいてる何かがあるから大丈夫だ。