書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

そこに見えるモノと、それを解釈する私と…

毎日歩いてると、不思議なことに毎日違う面白いお花に遭遇する。

昨日もいつも歩いてる散歩道にこんなお花を発見した。

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お花の中にお花って…!!

かわいすぎる…。

花を見るたびに、この色合いのハーモニーや素晴らしさ、奇跡的で個性的な形や模様に驚かされる。

この、一期一会の出会いを忘れないよう、一番美しい形を写真に残そうとシャッターを切る。

でも…ふと思った。

花の立場からしてみれば、別に誰に見てもらうために咲いてるわけでもなく、ただ「咲いてるだけ」、だ。

そう考えると「この花が美しい」だとか「素晴らしい」という言葉をつけているのはまぎれもなく私の解釈。

ただ、そこに見えている花に、私の心のコメントがつけられている。

でも今までの私は、ただそこに存在している「事実」と、心の中の解釈と感情を全部ひっくるめて「私の世界」、それが「この世界の全て」という感じでどっぷり浸かっていた。

分解して書いてみるこんな感じ。

 

事実…花が咲いている。

解釈…奇跡的なことだ。

感情…素晴らしい。美しい。

まとめ・評論…人生とは素晴らしく奇跡的なものだ=私の世界の解釈

私の世界の解釈=この世界全て

 

こんな思い込みの世界にいた。

また、なんども繰り返すようだが、もともとその「事実」には何の意味なんてない。

ということは、私の心の中にある「奇跡的だ」「素晴らしい」「美しい」「調和」という解釈が、たまたま目に見える「花」に映し出されているだけだと改めて知った。

それは肯定的なもの、否定的なもの全てそうだ。

もし、これから自分の見える世界に苦しく痛みを感じたときはこういつもこう唱えよう。

「その見えているモノ、感じていることには何も意味はない。あるのは私の解釈だけ。」

きっとそれが、私を悪夢から呼び起こしてくれる呪文のような気がする。