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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

「人生万能マニュアル」は何処に?

Facebookで色んな人たちが書いている文章や写真をぼんやりと眺めながら、心の中で確実になにかを注意深くそして鋭く眺めている自分がいた。

そこには、心のどこかでずっと「人生万能マニュアル」があると信じ探し求めている「渇望した心」がハッキリと見えた。

そのマニュアルさえ見れば、なんでも教えてくれる魔法のような本があるはずだ。

そんな淡い期待を持っていた私は、本を買い漁っては読み、どこかにその教えを説いてくれる人がいるのではないかと探し求めていた。

そして実際にその本に触れ、その人と接してみては何かが足りないという感じがして不完全燃焼…。

そして、またその不完全燃焼を補うかのように本を読むという無限ループ。

本では飽き足らず、セミナー、カウンセリング、コーチングを受けてみても、やっぱり何かがすぐにすり抜けていくような感じがして、肩透かしをくらった気分がずっとあった。

久しぶりに帰国した日本の本屋へ行けば「◯◯の法則」「◯◯の方法」というタイトルの書籍がごまんとあった。

そんなありとあらゆる角度で書いた書籍に一喜一憂する日々だったが、今日はいつもと違うものが確実に見える。

いつもならば目新しいキーワード・情報・ノウハウばかりに着目して読んでみてはみんなと同じであることで安心したフリをしていただろう。

でも今日は、そういった外側のものを繰り返し求める「渇望した心」の方に向きを変えて、そこに光を当ててみたくなった。

すると、こんな風に自分への評価を下していたことに気づいた。

「私には知識やスキルが足りない。だから権威のある人や有名な外側の人が教えてくれてそれを学ぶべき」

「私は大した人間ではない」

「私には力がない」

そんな自分に対する評価がとても低かったことをずっと見ずに、見栄えや聞こえのいいキャッチフレーズの本やセミナーなどの外側ばかりに心を向け、膨大なお金と時間を費やしていた。

そこでは、ただ少しだけ増えたように感じた情報や知識は、単に「自我」を満足させているに過ぎず、相変わらずそこにある渇望感を満たせないままでいた。

私はさらにその「渇望する心」に問いかけてみたかった。

−なぜ、そんなに大した人間ではないと思っているの?

「誰も私を見てくれないから」「関心を持ってくれないから」という親への不満の心。

「誰も私を認めてくれないから」という親への不満。

そこには親に対する「私をもっともっと見て!」という渇望感があった。

でも相手の気持ちを推し量って、我慢していた心がずっと残っていたようだった。

 

それとは別で、勝手に紐付けされてきた過去の記憶も思い出された。

それは何度も現れてくる幼い頃の自分。

幼稚園から小学校低学年の頃の頼りなさげな、気弱な自信のない私。

近所に住んでた意地悪な中学生の女、親戚のお兄ちゃん、小学校の同級生にいじめられたこと。

おどおどして気弱に見えたせいなのか、気がつけばいじめの対象になりやすかったのかもしれない。

そのうちに私はいじめられないように自分を守る手段として、仮面を被る方法を覚えるようになった。

「成績優秀でいい子な優等生」

「強いイメージの女性」

年齢とともに、ありとあらゆる仮面を被り続けてきた日々だった。

 

…と、いつもならきっとこの過去を引き合いにしては、自己弁護や自己憐憫の手段として使っていたと思うが、今日はどういうことかもっと深く広い視点で、とても冷静な場所から眺めているようだ。

過去にしても今にしても、未だ何かしらの理由で緊張して固まったままの「か弱い自分」や「渇望する私」の存在。

それをただ認め、そんな自分にも居場所をあげたいなと思った。

だからもう一度、そんな自分に問いかけたい。

−「か弱い」「内向的」「ビクビクしたりおどおどしている」ということはそんなに悪いことなの?

ううん。違う。

きっとそれは、その時のその状況ではそうあったことは必然的に起こったことで、自然なことだったんだと思うよ。

例えば、初めてのことや、頼る人がいなかったり、未知の世界や人に対して自然に湧き起こる感情。

でもそんなさまざまな感情や想いも『なにも意味なんてない』ということがどこかで分かっているより一層深いところで気づいていること。

そう理解してやるうちに、固まり続けたままの心も少しだけ緊張が取れてくる。

 

そうこう考えているうちに、「人生万能マニュアル」やら本や情報は単なる枝葉の部分で、もうそんな法則やルールはもうどうでもよくなってきた。

そんなことよりも今は、フリーズしたまま動きそびれてしまった心に、光をじっくりと当ててやりたいという気持ちのようが興味を持っている。

そんな心から湧き起こる渇望感を素直に認め、それを書くことで存分に満たしてやりたい。

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それは、光がなくては片時も生きていけない花のように、ゆっくりとゆっくりとそして限りない自己対話という光。