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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

胸の内を語るというエネルギー

最近、こうして心のことについて、日々の感じてることを、ただ自己対話のように書き記したり、そして、最近はカウンセラーの方が主催しているスカイプでのお話会で、普段、自分が思っていることについて自由に、思いつくがままに話すという時間を取るようになった。

すると、その日・その時の集う人たちのエネルギーや感覚、話すことでのエネルギーが動き出す感じ、そしてそのエネルギーに連れられて自然と湧き出くる思い。

決して一人では味わえない、その共有された空間と時間と思いを書き記しておこうと思う。

昨日のお話会で発見したことと言えば、自分が抱えてた「心の傷口」が大きかった時は、その痛みですっかり頭がいっぱいだったこと。

その痛みで埋め尽くされていると、自然と目に映る世界もまた、どうしても苦しく痛い感覚しかなく、楽しかったはずの思い出や出来事はすっかりかき消され、そのうち自分の感覚もすっかり鈍化し、辺りはまるでモノクロの世界にしか見えなかったようだ。

すると、そのとても痛かった傷口もなかったような感じがして、一見、和らいでいるような気もした。

そうするうちに自分の傷にはすっかり無頓着になっていて、私は自分の外側の世界にばかり夢中になっていた。

例えば親が喜びそうなことを優先し、仕事でお金を稼いで忙しくすること、会社の上司が何を求めているのかをいち早く察することなどで、すっかり胸の内の傷口にフタをしていた。

他にも、お酒やタバコに浸り、身体を壊しながらのフタ、帰属意識というアイデンティティをふりかざすフタ、ポジティブな自分をアピールするフタ、音楽や好きなセミナーで一瞬の恍惚感を味わうフタ…とにかくありとあらゆるフタを探しては、心を閉ざし続けていた。

そのフタだらけの心はボロボロで、その傷口はずいぶんと長い間ほったらかしにされそしていつの間にか忘れられた存在とされていたが、でもそれはどんどんと傷口は深まり、依然そこに存在し続けていたのだった。

そんな化膿した傷口をやっと今、専門のお医者さんに出会い診てもらっているような感じがある。

まずは、その傷の痛みの状況をよく診て、そしてその状況に対して一体、どんな薬が必要なのかということをひとつひとつ丁寧に関心を持って診てあげている感じ。

真剣にその抱えた傷に向き合う気持ちで今、このブログに書いている。

初めはその傷のひどさを見て、さじを投げたくなった。

痛くてつらくてつらくて、わけも分からずわんわんと一人泣いた。

ずっとずっとほったらかされた傷が叫んで暴れたりもした。

それでもその化膿した傷口に消毒液をかけるように、書いて、書いて、書き続けた。

書き出された言葉の数々に自分に対する幻滅やおぞましさも感じた。

書きながら心は激しくのたうち回り、恨み、耐えきれず激しく泣き叫んだこともあった。

また、昔と同じような方法を使ってその傷口から逃げ出したくもなった。

そんな風に日々、その痛みと過ごしていた。

そうするうちに、その痛みと傷は少しずつではあるが、治癒する方向にエネルギーが動き始めているようだった。

痛みがほんの少し軽くなると、痛くないフリをしていた時と比べ、本当の意味で治癒されているという感覚がやっと分かってきた。

すると、本当の安心感がやってきた。

その安心感が訪れると、今まで常にあった社会という外側への緊張感があったことにも気づく余裕が生まれた。

ひとつの小さな傷口が塞がってくると、ほんの少し楽になった。

「楽になった」というのは、傷口の痛みでエネルギーを注ぐことがなくなったということだ。

その使われなくなったエネルギーは、私に今までよりももう少し広い風景を見せてくれるようになっていった。

少しずつモノクロがカラーになったような、甦るような感覚。

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悲しみや、怒りや恨みの傷口が深かった分、ずっと心の奥深くの暗い深海に潜り込んでいたことを知った。

だからこそ、このカラフルな世界がとても眩しくて思わず泣きそうになる。

それは固まって死んでしまった心がまた息を吹き返していることの証。

そんな喜びの涙が溢れて止まらない。