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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

読書中に出てきた想い

久しぶりにある本を手に取り読んだ。

何度も読んだはずなのに、やっと今日向き合えた正直な想いがそこにずっと残っていた。

ずっと前からその著者の本を読む時に感じてた、自分の中の微妙な「反応」。

今まではその反応した部分を見ないフリをして読み流していたけど、今日はなんだか徹底的に反論したい自分がそこにいたからその声をしっかり聞いてやろうと思う。

まずは、その著者の本の中でのよく語られる単語のニュアンスに、淡い憧れと強い反発という矛盾した想いを同時に抱えていたこと。

「才能」「ワクワク」

この単語には私の中で「ポジティブ」というレッテルがべったりと貼り付いている感じがしていた。

なので、このワードに触れるたびに、私の奥底にある「どうせ才能でお金を稼ぐ人や、特別な人だけが感じられるものなんでしょ」といったネガティブが暴れ、読みながらもなんだか嘘っぽいなぁ…という想いが出てきて心中穏やかではなかった。

他にも「ポジティブはいい、ネガティブは悪い」という風潮や、有名な人が言うならばと右へならえ的な感じにも反感を持っていた。

そして「才能」という単語に対する恨み的な想いもあった。

というもの、才能というものに対する自己肯定感が全くない私は、その本を読み進めれば進めるほど、どんどんと置いてきぼりをくらったような気分になった。

「才能」について語る人は当然、もうそれを既に悟っているようで、その語り口にはいくらかの優越感も感じられ、遠くでやや白けている自分もいたし「才能のことを分からない私は負け」といった敗北感と無力感があった。

それは私をじわじわと刺激し、ネガティヴな部分がしくしくと疼いていた。

そんな想いに深くはまってしまうと、何度読んでもなんだか嘘っぽくて頭に入ってこなかった。

そして、読書中に心の中で起こったのはなんと「もー!先にさっさと答えを言わないでよ!!私が自分でできるんだから!やれるんだから!!」と癇癪を起こしているような3歳児のキャラクターだった。

それは、なんだか外側のものよりもっと根底に流れている自然な流れを信じなさいというメッセージにも感じられた。

その本に限らず、巷には色んな本や情報がたくさん存在していて、その答えもあっという間に手に入るだろう。

でも、肝心の「今ここの私」は全くその情報や答えに気持ちが追いつかず、いつの間にか、自分で自分を置いてきぼりにしていたことに気づいた。

そして本や情報発信者など、「外側の人の言葉は正しい、私は正しくない」という強い想いを持っていたようで、自分の身体や心の感覚や気持ちを信じられずどこかで否定していた自分がいた。

そうすると、今の私に必要なのはなんなのか改めて明確になった。

『今よりももっともっと繊細に自分の身体の感覚や心の動きに関心を向け続けること』

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必ず誰しもが適切なタイミングできちんと実感する時がやってくることも本当は自分がちゃんと分かっていた。

外側のものはそろそろ手放す時にさしかかっているのだろう。