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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

五感と歩んできた人生

自分が慣れ親しんだ味覚や感覚・五感から、自分が歩んできた人生の流れを見直せるかもしれないという空想の物語。

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私の生まれた家庭では、主に韓国料理がメインで気づけばキムチはもちろん、唐辛子をメインとし、辛いものばかりをよく食べていた。

他は私が記憶するに、冷たい水をガブガブと飲む習慣があった。

そして、両親はアルコールを好み、毎日の晩酌は欠かさずビールもしくは何かしらのお酒を飲んでいた。

そんな我が家で常に渦巻いていた主な感情は「イライラ」「激しい怒り」だった。

今思えば、我慢強い母はきっと我慢に我慢を重ねていることを自分でも気づかずにいて、常に怒りという爆弾を抱えこんでいたのだろう。

それは、夫婦喧嘩が勃発するかということが常に私たち兄弟を緊張させ、怯えさせた。

そんな余裕のなさからくる、怒りっぽさや激しさに対し、強い痛みや悲しみや強い嫌悪感を抱いていた。

そんな嫌な感覚ですら、長年目の当たりにするうちに、鈍感になっていった。

そして同時に、自分もどこかでその要素をしっかりと模倣してしまっていた。

そして、冷たいものばかりを飲む習慣は、夫婦喧嘩の辛さや悲しみや怒りに触れながら「そんなに嫌ならさっさと離婚すればいいのに」という小学校からの冷ややかな心とリンクする。

毎日、そんな辛い感覚に触れるうち、自分に対しても冷たくあしらい、あらゆる感覚を無視し続けるしか回避方法が分からなかった。

それは結果的に、身体の冷えに対しても「これはこんなものだ」とすっかり諦めてしまう癖がついたのだろう。

その怒りっぽさ、冷たさにも本当は激しい嫌悪感を抱いているのに、長い時間触れ続けていると、不思議なことに安心感が芽生えていた。

そしてその感覚をいつの間にか自分と同一化してしまい、気づけば離れがたい感覚と化していた。

そのせいなのだろうか、寒い・冷たいという感覚はとても嫌いなはずだったのに、20代の頃に私が選んだ環境といえは韓国・中国東北部という凍てつく寒さの土地、そしてクールな人間関係の環境ばかりだった。

私は大学の頃、長年の抑圧が爆発し親に反抗し家出をした。

初めは親から逃れて安心したかのようだったが、結局は親と全く同じように、辛いことがあればお酒を飲んだり、孤独な生活を辿っていた。

 

そんな中、三年前にふと感じる激しい孤独感に耐え切れず、初めてなりふり構わず正直な気持ちが顔を出した。

その頃に私は旦那と出会い、そして彼から「暖かさ」というまるで味わったことのない感覚を教えてもらった。

手のぬくもり、身体の暖かさ、暖かで穏やかな環境、暖かい気持ち。

そのどれも触れたことのない慣れない感覚に、私は恐れを抱きながらも、その暖かさには惹かれていった。

そして一緒に過ごすうちに冷たかった心と身体がちょっとずつ溶けていくようだった。

すると、気づけば長年、慣れ親しんていた寒い・辛いという感覚から少し距離を置くようにもなり、新たな感覚へとゆっくりと動き出した。

十年以上付き合ってたお酒と依存していたタバコも全く欲することがなくなっていた。

今は辛いものだけでなく、甘さや色んな味を味わうように変化してきた。

冷たい飲み物だけだった習慣から、暖かい飲み物も自然に受け入れられるようにもなっていった。

そのうちに、これが本当に私がほしかった感覚だったのだということを初めて知ることができた。

 

人生で味わい続けてきた冷たさや辛さや悲しさばかりの日々を過ごしていると、これはそんなものだとしか認識できなかった。

でも、旦那という存在によってそれが冷たく辛く悲しかったことを改めて体感できた。

そして、そのどんな誰よりも暖かさに対するありがたみを感じ、それは素晴らしい喜びに変わった。

そして今は旦那がいてくれるからこそ、冷たさを徹底的に教えてくれた家庭環境にも本心で感謝できるようにもなった。

なぜなら、この冷たさや深い寂しさや孤独感がなかったならば、私はきっと旦那に出会うことはなかっただろう。

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この全ての経験に「ありがとう」。