書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

カモフラージュ

「単調だ。退屈だ」という感覚がとても居心地悪くて向き合いたくなくて、買い物へ出かけてみたり、仕事に没頭したり、予定を入れたりと忙しくしたり。

「認めてもらえないと生きていけない」という感覚に反発していることを隠そうと、いい人ぶって愛想を振りまいたり。

「私はここにいてはいけない」「私には居場所がない」「私には生きてる価値がない」という恐れの感覚に触れたくなくて、色んなレッテルを貼りアイデンティティを振りかざして安心した気になってみたり。

「自分は無知だ」という居心地の悪さを隠そうと、無理やり知ったようなフリをして聞いていたり。

「虚しい」に嫌悪感を抱き、充実感を不自然にアピールしたり。

 「お腹が空くと寂しい」という気持ちを感じたくなくて、絶え間なく食べるという行為をやめられなかったり。

「いちいちうるさくでしゃばってうっとおしい」と感じる気持ちと向き合いたくなくて、その人と距離を置いたり無視したり。

「下品だ」「汚い」「気持ち悪い」というその感じる自分を否定したくて、その人を徹底的に批判してたこと。

 

カモフラージュ。

カモフラージュ。

カモフラージュ。

 

いまさらながらだが、この数多くのカモフラージュによって、その向き合いたくないエネルギーが延々と私から去ることなくまとわりついていた。

 

そのカモフラージュを暴くには、そのカモフラージュという抵抗をも一切捨てて、その瞬間に感じた嫌悪感、居心地の悪さ、否定感、無力感、無価値感、そしてこんなことを感じちゃいけないという感覚ですらも隣に寄り添い、そのエネルギーをしばらく観察する。

すると、気づけば淡々と自然の流れにただ乗っていることを感じる。

 そして、私がどう考えようが何をしようがコントロールできるものはなにひとつなく、全ての流れや起きることは訪れる時にやってきて、そしていつかは去っていくことが分かる。

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自然の流れは「私」という感覚とは全く無関係で、ただ全自動で淡々と起こっていている。

その湧き起こっていること全てが許されている無限のパワー。