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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

見落としてた「自分」というかけらたち

ひとつひとつ丁寧に黙って見つめていると、つぎつぎと見落としてた「自分」の破片で痛みを感じてたことを知った。

 

まずは「人に迷惑をかけてはいけない」という固定観念から始まり、いつの間にか人に遠慮する30年来の長年の癖。

そして自分のしたいことを言い出せずにいると、喉の奥がギュッと締め付けられるような感覚があることも知った。

遠慮が更に嵩じ、いつの間にか人の目を気にするという不自然なことが自然に身に染み付いてしまっていた。

そして最悪なことに「これはそんなものだ」と自分を洗脳し、ずっとずっと心の奥の奥へしまいこんだままだった。

 

はぁ…。

ひとつの癒しが起こると、そのまた奥からとめどもなく流れ出してくる「自分」のかけら。

本来のエネルギーの流れに反するものを必死で押さえつけてこびりついていたパワーが急に緩み出して、一気に溢れ出してきているかのように。

 

そんな流れの中、今日は朝から旦那の何気ない一言で不覚にも涙腺が破裂。

「週末、大学の友達のところに遊びにこないかと誘われたけど一緒にいかない?」という一言なのに、私の中で何かがパンと弾けた。

 

それは「私はずっと孤独だ」という想いとシンとした寂しさに触れた痛み。

その痛みから逃れようとずっと我慢を重ねていたその破片がずっと苦しかったんだ…。

 

私は少し怯えながら、でも勇気を振り絞って心のままに言葉にしてみた。

 

「あなたは自分の両親や家族、親しい友達もこの土地にいることが当たり前のようにして過ごしているけど、私にはその存在がいないこの寂しい感情をあなたはまるで理解していない。そして、その感情をあなたは誤解してる。私がひとりで可哀想に思って友達を紹介した気になっえ解決してあげてるつもりなのだろうけど、あなたの友人関係は、私にとってバックグラウンドも共通の話題もなんの興味もない人たち。そんな人たちと会わせようすることが本当に意味があるのかどうかについてはあなたは何も考えていない。」

言いながらたまらず涙がこぼれた。

 

以前から彼の目から私は「友達のいない寂しい人間」「弱い人間」扱いしていることをなんとなく感じていた。

 

あぁ、この喉のつかえは、私がずっと何も言わずに沈黙を守りながらも、我慢してたことかもしれない。

 

すると、『もう誰にも我慢なんてしなくてもいいんだよ。もう誰にも遠慮なんてしなくてもいいよ。』

そうその破片が伝え始めた。

 そして、『泣きたいだけ泣いてもいいよ。暴れたいだけ暴れてもいい。それでも私はもっとあなたのことが深く知りたい。それでも私はもっとあなたに触れたい。』

 

決して浅瀬では見ることのできないそのもっともっと深く潜ったところ。

そこにはとてつもなく広大でそして奥深く感情豊かな源があるような気がする。

すると、とても感情豊かな繊細な、愛すべき源があることがほんの少しづつだが身体に響いてくる。

だから思いのまま、ひとしきり泣かせてあげたい。

自然とそんな気持ちになれた。

 

そして、思いっきり泣いた後は、なぜかいつもとても冷静沈着な自分も顔を出す。
涙で頭を冷やした状態で、きちんと距離を保って見ている自分のかけら。
そんな「冷静な自分」を「冷たい」と誤解されるのが怖くて、どこかで隠し、否定し、優しい仮面を出してずっと奥に引っ込めていたことも分かった。

 

以前の私と違ってるのは、嫌だなぁというエネルギーを見逃したり、見なかったフリや無視することをやめたことかもしれない。

それだけちょっと受け止められる余裕ができてきたのかなぁ。

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引き続き、泣き虫で、弱い私のこの地道な観察の日々は続く…。

(あぁ、また目が腫れた)