書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

どしゃぶりも、晴れ間も。

心がどうしようもなくどしゃぶりの雨のこともあれば、さーっと晴れ間が見えるように気持ちがよいこともある。

常に今ここで揺れ動くこの心。

あまりにも激しすぎて忘れてしまいたいこともあるこの繊細すぎる心。

特に恐怖心はそのあらゆるものから切り離そうとし、それを忘れさせようとどこかに置き去りにさせようとする仕組みらしい。

すると、その心のエネルギーはどんどんと膨らんで、激しく抵抗したり、怒りが湧いてきたり、暴れ出したりして持て余すこともあった。

それに向き合いたくなくて、お酒を飲んでみたり、仕事やいわゆる見栄えがいい色んなことでフタをしっかりと閉めていた。

でも、フタをしたところで、言い訳をしたところで、ある拍子にその感情のフタがパカッと外れ、その感情に完全に溺れる。

その時、私は決まってたまたまその目の前に現れた人のせいにしていることにも気づいた。

今まではその感情に溺れて、相手を悪者扱いをしてそれで終わりだったのだが、今は何だかちょっと違う。

今は、その表層よりもそのもっと深い部分へと泳ぐ術を知り、潜り込めることに気づいた。

 

喜怒哀楽や恐怖や穏やかさ、美しさ、醜さ、残酷さ、奇跡、また言葉では言い表し切れないありとあらゆる出来事たち…。

 

これらのそのもっともうひとつ深く潜ったところ。

繊細すぎて、複雑すぎて、そして膨大すぎるありとあらゆるものに気づいている「なにか」が深いベースとなって成り立っているのだということ。

花の下に深く眠っている木の根っこのまたその奥にある土の養分のようなそんな静かな「なにか」。

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私たちは、そんな何かをベースにして、創造力豊かな遊びの中にいるのかもしれない。

「朝鮮」というシンボルを抱え「日本」という記号の環境で生まれた。

そして「民族」という言葉を頼りに「韓国」へ行き絶望の淵に飛び込み、「中国」という名の「他民族国家」へ突き進む。

そんなゲームにそろそろ飽きたところで、今のフィールドといえば過去をほぼ脱ぎ捨てた「オーストラリア」という先入観、情報ゼロのニュートラルな環境へのダイブ。

そんな人生ゲームの真っ最中だ。