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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

最近の当たり前からの大切な気づき

長年の環境や習慣から、当たり前が当たり前として溶け込み過ぎて、自分で気づけないということがある。

私は最近、流産したことをきっかけに、改めて自分の身体について気づいたことを書き留めておきたい。

きっとこれは、私の人生で初めて目を向けることになったきっかけだ。

 

それは私は何十年来の冷え性であったこと。

私の場合、手足が冷えるという末端冷え性だ。

なんだそんなことかと言われるかもしれないが、何十年も抱えたこの身体の冷えに対して私はすっかり「これはこんなものだ」と軽視し、そして諦めていた。

きっと当初、身体は頻繁にサインを出し続けてくれていたのだと思う。

しかし、そのサインを私は無視し続けていた。

きっと無意識に感じなくするためにしていた自分の癖でもあったと思う。

そのサインを感じないようにするうちに、身体も私を諦めたかのようにサインを出さなくなったようだった。

冷たさに対し、私はとても鈍感になってしまっていた。

それはもしかしたら私が過ごしていた環境そのものが冷たかったからかもしれないとも思う。

原因は冷えだと断定することはできないが、自分の身体を大事にしてなかったことのひとつの結果なのだろうと思うのだ。

 

今回で私は二回目の流産を経験した。

私は、そのどちらの時も深く絶望し、取り乱した。

しかし、時は過ぎ、静かにその時間を過ごすうちに、冷静な自分が別の見方をするようにもなっていた。

私にとってこの出来事は、失ったものが大きかった分、とても大切なことに気づかせてくれた。

 

一回目の時は、今の旦那と結婚しようと強く決心したきっかけでもあった。

私が危機に陥った時に見せてくれた彼の誠実さを感じたからだった。

そして、今回は、きっと神様が私に身体の根本を改善していくためのラストチャンスを与えてくれたのだと思うのだ。

 

精神的に重い出来事ではあったが、今は自然と感謝の気持ちも湧いてくる。

絶望の裏には、やはり希望の光もちゃんと用意されている。

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私自身が毎日を快適に過ごせる、そんな身体であれば、周りの人も自然と喜んでくれるはず。

これからは私の身体にもっと希望を持てるように大切に扱っていきたい。 

 

もしかすると他者が存在しているのは、当たり前から脱却させてくれるためなのかもしれない、というのがもうひとつの今の私の気づきだ。