書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

沈黙というコミュニケーション〜Silence〜

今日は午後から過ごしやすい涼しさ。
ちょっと早めにいつものスワンリバーへ。

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壮大な雲が色んな形で流れては去っていきます。

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そして、散歩道では可愛いお花に目が留まれば、ひたすら撮影。

その一方、今日のゴミ拾いはたった30分でこんなにたくさんになってしまいました…。

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予想通り、連休明けはゴミが多かったです。
吸い殻もご覧の通り、半分以上がすぐに溜まりました。

かと言って、個人的に吸い殻やゴミを捨てる人が悪い!と悪者扱いの発言はできない自分がいます。
なぜなら、この一言ほど無意味なことはないし、この否定の言葉はむしろ相手にもっとその行為をさせてしまうという、より強い負のエネルギーが働いてしまうと思います。

私も過去にスモーカーだった立場での心理をお話すると、タバコを吸ってた時期は、心も体も感覚が麻痺し依存してしまいます。
私も止めるのに10年以上かかりました。
タバコは依存しやすく、ところ構わず突然、吸いたくなるんですね。
衝動的に吸った後のその場の処理にも困りポイ捨て…。
吸っておきながらなのですが、自分なりに匂いも気になるから早く捨てたい。
でも捨てる場所がない。
だから、とりあえず吸い殻が捨ててありそうなところを探しては、みんな放り込んでしまうといった心理かなぁと。
そんなこともあってか、スモーカーが捨てそうなところは何となくすぐに分かりゴミ拾いが早いです。
そしてタバコを吸ってた頃の私もまた、タバコには手を出さない方がいいと、止めたいとずっと思っていました。
身体に悪いことも分かっている。
ポイ捨ても悪いって知っている。
捨てればどこかで罪悪感も感じる。
自分でも十分心の中で責めている。
さらに外から指摘されれば、強烈にまた自分を責めるエネルギーの悪循環。
そんな過去の我を振り返る想いもあって、吸い殻を拾ってます。

どうも調べるとオーストラリアでは喫煙人口が少ないようですが、河辺の吸い殻からするとスモーカーが結集しているのだろうか…。
まぁ、どこにでもそういう場所はありますね。
調べるうちにオーストラリアのタバコ事情についてのサイトに辿り着きました。

かなりスモーカーには厳しい世界のようです。
値段は1500〜2000円と当然高いし、確かにお店でもタバコは外に陳列していなく、見せないように扉の後ろに並べてありました。
しかもそのパッケージも結構グロテスク。
国をあげて喫煙を阻止していることが分かります。
室内は厳しく制限されているから、河辺で吸うのかもよ、と旦那が言ってました。
でも確かに外出先でも灰皿は見たことない。

まぁ、いずれにしても、捨てる人たちのことや、外側の状況は相変わらず存在していて、最終的にはやっぱり自分はどうありたいのか、そして自分はどうしたいのかということしかコントロールできないですね。

ただ、これは見逃してはいけないことだと分かる。
人間だけが自然に還せないゴミを投げ捨て、そして無感覚で通り過ぎる人たちの負のエネルギーの光景。
これは必ず私たちに報いが訪れる。
河辺でゴミを拾っていても、やっぱり不自然に映るプラスチック。

ゴミ拾いを続けながら、少しでも減らしながら、何かよい方法が思いつくといいなぁ。

ちょっと話が長くなりましたが、早速、今日のカード。

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「沈黙」

沈黙と言えば現在、旦那のご家族に関しては色んな考えもあり、意図的に沈黙を守っている。
とても注意深く気をつけて保っていた沈黙の中身に今日はこっそり触れる。

少しだけ紹介すると、旦那を含め家族全員、オーストラリア国籍を取得し十年以上住んでいる。
結婚前から私は、全く異なる家庭環境、好奇心から旦那の家族をずっと観察していた。
ご家族みんな人間的にとても心暖かい人たちだと思う。
そして、どの親もそうだろうが子供への愛情が深く、旦那のご両親もまた、子供への愛情も同じように深いのだと感じた。
また私のことも快く迎え入れてくれていると思う。
これは本当に大変ありがたいことだ。

しかし、私の経験上だが、両親に限らずのあらゆる人たちとは感謝できる健全な距離を保ち、長期的に関係を築くことが重要だと思っている。

今日はこの「距離感」をもう少し深く追っていきたい。

まず一番の驚きだったのは、中国にいた頃。
旦那は毎日、必ず両親に電話をしていた。
聞けば何てことない会話で終わるのだが、なんとなく「不自然さ」を感じた。
電話をしたくて、というよりは義務的な雰囲気だった。
驚きはしたが、海外にいることだし、まぁそういう家族なのかと思っていた。

一方、私はと言うと、両親へは月に数回電話すれば多い方という感覚。
逆にしょっちゅう電話すると何かあったの?と心配されるぐらいで旦那とは正反対だった。
電話でも特に話すこともないのだが、お互い元気であることを確かめるといった感じのクールな関係。

昨年、私たち夫婦は結婚後しばらく遠距離で、彼は両親とオーストラリアで同居、私は中国や日本を行ったり来たりしながら別行動で準備を整えていた。
そして私がオーストラリアに着いたばかりの頃、旦那は実家生活の習慣が抜けていないのか、両親と必要以上に連絡を取ったり実家に行こうとしていた。
その時は私もよく分からないまま旦那について両親の家に行っていたが、どんどん行く回数が増える一方。
そして毎回、要らないものをもらったり不要なエネルギー交換が始まる。

会う回数が多ければ多いほど、なにか感じる不穏で不自然なエネルギー。
なんだろうか、この居心地の悪さ…。
それをどう表せばいいのかしばらく分からずにいた。

そして、オーストラリアで本格的に過ごすうちにハッキリしたのは、彼らの家庭には「心配性」と「家族は一心同体であるべき」というエネルギーが流れていることがハッキリした。
異国にいる分、家族全体がそのエネルギーをより強めているように感じた。
というのも、休みの時にたまに会うこともあり観察すると、妹さんの親への接し方を見ると変な違和感を感じていた。
健康に過ごす両親を、まるでなにもできない幼い子供のように面倒を見ようとする娘がいた。
親の家で家事から何から何までする娘の姿。
今までの私ならば親孝行な人だなぁと思うところだが、私はそれを見て妙な居心地の悪さを感じた。

そして会えば会うほどご両親からの意見が多くなることを旦那へ告げると、彼はケロッと「僕たちに関心があるんだよ」という一言で片付けられた。

私はこの輪には入れないなぁ。
いや、この輪に入りたくない。
「共依存エネルギー」
過去に味わった、もう味わいたくない関係が頭をよぎった。
あぁ、やっぱりどこの家庭にも抱えている課題があるんだなぁと感じた。

そこから私は、彼が一人で実家に行くことに私は反対はしないが、私を毎回連れていくことにはハッキリとNoを伝えた。
ひとりひとりにあるように、私個人にも時間の使い方の権利があるはずだと伝えた。
とりあえずそんな観察を数ヶ月しながら、彼の家族とは沈黙と距離を保ちながら注意深く観察している。

そして私は外野から彼らが発してるエネルギーをじっとじっと見つめてみた。

「あれこれと心配する」
このエネルギーの裏側には、実はその心配している対象を信用していないという負のエネルギーが存在していた。
さらに言うならば、彼らの根底には、自分自身を信じてないという心が深く居座っていることだった。
まぁ、当然のことながら人の頭の中は分かるはずもない…。

うむ。こんなに反応している私。
じゃあ、この状況から一体、何を学習しようとしているの?

「もう過去の共依存関係は二度と繰り返さない!」という強い意志と決心。
「もっと自分の力を信頼する」
「彼らには彼らの課題がある。私は私の課題に取り組む。黙って自分の課題に取り組むこと」
私の心からより大きなエネルギーが、より拡大した姿で私に顔を出している。

自分以外の人に口出しすることは相手にエネルギーを注いでいること。
自分のエネルギーは自分で手綱を取る。
今やっと学び出したことを忘れるなと何度も念押しをしてくれているようだ。

自分のエネルギーを十分に保つには、しっかりと心の身体の距離を保つ。
近ければ近いほど気をつけなければならないことだ。

自分以外の人をどうこう言おうとするエネルギーを一旦止め、じっと沈黙する。
その沈黙を保ったエネルギーを使い、もっともっともっとその状況を細かく鋭く凝視する。
そして自分はどうなりたいの?どうしたいの?と質問をし自分のためにエネルギーを注ぐ。
その練習がまだまだ私には必要だ。

まずは手始めに一番身近な旦那に無意識に言っていたであろう禁止や心配の言葉からひとつずつ手放してみよう。

口は相手を指摘や否定するために存在しているのではなく、光を伝えるためのツール。

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大自然のように、私が何を選択して、どうあるかということだけでも十分に何かを語っているのだ。

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今年の標語。
『見ざる、言わざる、聞かざる』