書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

いくつもの夢〜Dreams〜

『幼い頃の夢は何でしたか。そして今の夢は何ですか。』

人生初、秋の四月。
今日も快晴の中、素敵な仲間が私を楽しませてくれました。

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ふたつのエネルギー。
新たな出会い…笑

今日のカード。

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『夢』
小学校の頃の私の夢は先生か看護婦。
そう作文で書いた記憶がある。
「教えること」という意味ではその夢は実現できたのかな。

小さい頃に思っていた夢はとても短絡的で、私の頭の中でハッキリとイメージできる「職業」としてしか捉えることができなかった。
今思えばそれしか情報もなくて、それはそのまま「まぁ、そんなものだ」とそれ以上考える余地もないと判断していた。

そしてもう一つは睡眠中の「夢」。
語源を調べるともともとは「寝目」と書く。
「寝」は睡眠。
「目」は見えるもの。
うーむ、寝ている時に見えるものって…。

ちなみに私は昔から今まで、ほとんど夢を見た記憶がない。
あまり意識もしてなかったし、みんなが夢を見ていると聞いて驚くぐらいだった。
夢を見ない私にはあまり関係ないことかなぁと思っていたが、旦那と暮らすようになってから何かがとても大切な意味をなしているのではないだろうかと好奇心を持つようになった。

というのは、旦那は私とは正反対でよく夢を見ていて、そのほとんどは日常では見られないようなキャラクターが登場する(個人的には楽しんでいる)。
それは寝言。
かなり面白いのが、英語でぼそっと一言人を罵っていたり、歌を歌い出して陽気にゲラゲラ笑っていたりすることもある。
かと思えば、夢の中でも仕事で会議をしているようで仕事モードの冷静な口調。
うーん、どれも私が見たことのない顔。
彼のそんな様子を観察するうちにふと思った。

もしかすると「ありのままの自分」「喜怒哀楽の感情」から見て、発散できていないキャラクターや感情を夢を通して見ながら実現しながらバランスを整えているのかもしれない。

思い起こしてみると、私もストレスがひどく溜まっていたり心配事や不安が強くなるそれに関連した夢を見ていたな…。

そしてもう一つ外せない「夢」。
それは、長年かけて刷り込まれていた「偽造の夢」。

端的に言うとこんなイメージ。
人がうらやむ素晴らしい家、人に憧れられる仕事、素敵な家族、豪華な車、素敵な旦那さんを手に入れること…。
手に入れれば幸せになれる。
その考えにとらわれすぎた結果、それがない人は不幸という価値観も同時に用意された世界。
私もまた、親・友達・テレビ・本…色んな方向から情報のシャワーを浴びるうちに不覚にも「この価値観はそんなものだ」という判断を下していた。
こんなダミーの価値観も、何の考えもなく疑いもせず信じるうちに、まるで私個人のもののような錯覚に陥っていた。
そして同じようにその価値観を信じる人たちの焦る様子を見ながら慌て、われ先にと、それを手に入れるためにあくせくとコントロールされていた「偽造の夢」。

以前の日本で言われた「三高」や、中国では男性は家と車を持たなければ結婚することのできないと言われる価値観の世界…。

そんなダミーの夢には共通点があった。
「◯◯すれば私は幸せ」という条件付きの価値観だった。
そのためには自分の外側にあるものを取りに行かなければならないというエネルギーコントロール。
これは宇宙とは真逆のコントロールされた不自然なエネルギー。

私も一時はそんな価値観で動いたこともあった。
そんななんとなくの行動は外の世界の奴隷となり、そして得られた結果にはなんの喜びも生まれるはずもなかった。
やはり、何度考えてみても負には負の結果、というわけだ。
やはりエネルギーは寸分の狂いもない。

じっと周りを見れば、未だにこの公式は崩れぬまま、商品だけが変わっているように見える。
それはモノに加えた情報という方法。
それを狙ってか、健康、ダイエットそんなマーケットのあらゆる情報が行き交う。
時期に偽造された「自己実現」マーケットも登場し、相変わらず刹那的な消費に走らされることにもなるのではないだろうか。

夢という個人の理想まで、外側の価値観にいつの間にかダミーとしてすり替えられる続ける人生…。
「ありのままの自分」の夢とはあまりにも乖離しているこの距離感…。
私の答えはもちろん「ノー」と言う。

じゃあ、私という個人が本当に望む夢は?
一体、私はどんな夢を実現したいんだろう。
とうとうこの問いかけをする日が来た。

昔に描いた夢は職業だけだった。
それはあまりにも小さい中でしか描くことのできなかったほんの一部の喜びだった。

今の私から見える夢とは、もっともっと大きい喜びで、そして色んな喜びとも完璧にリンクしていることに気づいた。

初めはとても小さな循環からだった。
自分に宿った命を、試行錯誤しながら自ら適切な環境に運び、その土壌を定め稼働させた1月。
そして、新たな家を整えながら、自分の身体と心を呼び覚ますための習慣を身に付けた2月。
そして書くという方法で感情エネルギーを整え始めた3月。
新たな「ゴミ拾い」という変容が始まった4月。

今はゆっくりとそして確実に自分のエネルギー方向が正に向かっている。

そこで今、思い浮かべたのはこのブログに名付けた「Earth Angel Light」
これが私のいくつもの夢の源。

地球の光を伝える。
光は美しさであり正のエネルギーであり、そして希望。
このエネルギーを糧に色んな形に変容していく夢。
そのために私の喜びの心で身体を使い切る人生。

内なる私の喜びに従って動いてみる。

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大好きな場所が喜ぶことといえば、自然と調和していない不要なものを取り除くこと。

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取り除けば本来の自然がもっと喜びより輝く。
そして、ありのままの美しい風景になればなるほど私にまた大きな喜びを与えてくれる循環。

夢は喜び。
私個人の喜びの延長線上に、自然の喜びも必ず存在している。
個人の夢、社会の夢、世界の夢、地球の夢…この全ては仲良く手をつなぎ、同じ方向に向かって歩くはず。

夢は喜び。
喜びは無限の宇宙エネルギー。
喜びを無限に拡大する夢。
どう変容していくのかは、その瞬間の私に任せよう。
私を信頼して楽しみにしていよう。