書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

決断の時〜Time to Deside〜

昨日は旦那の仕事がひと段落したので、久しぶりに海辺に行ってきました。

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『ありがとう大自然!!!!!』と叫びたくなる絶景がいつもお出迎えしてくれます。
あぁ、本当に有難い暖かな光。

今のオーストラリアは昼間は夏の日差し、そして夜は秋の空気と温度差の中で、確実にシフトチェンジしてます。

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無数の選択肢を指し示す看板…。
私が行きたいのはどこなのだろう。

さて、こんな写真のヒントとともに今日は三枚のカードを引きました。
三枚引いた場合は、過去→現在→未来という流れがあるとのこと。

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「過去に何かを決断」
「現在はキャリアチェンジ」
「ボディーワークの未来」

…うーん、なぞの点たち。
なんだろう…。

昨日は春分の日。
新しい種をまくには絶好の時期。
そのためにも自分の中の土壌をもう一度掘り起こしてみよう。

私は今までずっと、色んな本を読みながら、私が持立ているであろうスキルや才能についてとにかく書き出したり、私の手元にいったん広げ、そしてずっと眺め続けていた。
たとえばこんな感じで。

■スキル・得意なこと
    言語力(日本語・韓国語・中国語)
    タイピング
    プレゼンテーション能力
     説明・表現力
     コミュニケーション能力

■好き
    人生の目的について話すこと
    読書
    服・ファッション
    音楽(カラオケ・聴く)
    運動・身体を動かす
    天使
    お花の写真を撮る
    きれいな風景に囲まれている
    手入れが行き届いてる清潔な空間
    子供
    マッサージ
    お水(温泉・洗濯・食器洗い・コーヒー)
    心理学・哲学的な話
    掃除機をかける

■経験したこと
    日本語講師
    コールセンターのオペレーター
    人事
    不動産業
    
とにかくありとあらゆる情報を引っ張り出しては書いて書いて書きまくった。
でもその点はいつまでも点のままで、その点を無理やり既存の職業の線に結んでみてもなんだか全然しっくりこないのだ。

何度書いても、何度見直してもどうしても私の心にぴったりとフィットしない…。

そう考え続けるうちにふと思った。

私はもしかしたら、根ざしたい土壌自体が間違っているではないだろうか、と。
その根本を見直すため、また過去を掘り起こしてみることにした。

学生の頃にさかのぼってみると、中学の頃を境に家計の状況は緊迫しているようだった。

学費を滞納しがちだったことや、私が高校生のときバイト代で稼いだお金を親は突然必要だからと持ち出されたこともあった。
今思えば、そのぐらい生活に余裕がなくなっていたのだろうが、当時の父の行動から私は誤った情報を読み取り解釈してた。

「私はお金を提供しないと、この家にいてはならない」

大学に通い始めた頃にもお金にまつわることが起こった。
大学一年生の後期にさしかかった頃、父からお金は工面できないと告げられた。
財源を絶たれた私は一体どうすればよいのか途方に暮れたが、たまたま友人に教えてもらった大学内の学費の借り入れでどうにか大学に通うことができた。

その頃からだんだんと家にいること自体に罪悪感を持つようになっていた。
もしかすると、私はこうやってご飯を食べることやお風呂に入ること、この家にいるによって迷惑をかけているのではないか…。
そんなふうに自分の存在を否定的に捉えるようになっていた。
そのうちに私は、親にお金の負担をさせている自分を「悪い人間」として自己評価するようになっていた。
そんな気持ちを抱えて彼らと一緒にいることが辛く感じた。
家庭内の夫婦喧嘩や色んなことも重なり、大学三年の頃から私は家を出て、それ以来一緒に暮らすことは二度となかった。
しかし、家を出てからも自分に対するこの誤った自己解釈をずっと引きずったままだった。

数年後、中国で働きだした頃のこと。
現地の給料はアルバイトよりも低く、お金を持っていない私は親に年越しにお年玉すら渡すことはできなかった。
自分なりに精一杯差し出したいくらかのお金に対し、まるで軽視するかのような一言にとても傷ついていた。
きっとこの瞬間にも「親にたくさんお金をあげれられる人ほど、価値のある人間だ」という誤った情報が私の心にインプットされていたのだ。
そしてそれを満足させられない自分を激しく心の中で責め立てていた。

そんな親との何気ない会話の断片から、「お金を直接生産できない私は価値がない人」という悲惨な自己評価を下し、私はこの自己評価にずっと私は苦しみ続けた。

これが「何かをより多く所有することこそが幸せ」という誤った土壌…。

お金を手に入れる。
好きなものを手に入れる。
ものだけではなかった。

学歴、仕事、経験、さらには彼氏や、人間関係…。

「たくさん手に入れば入るほど、あればあるほど私には価値がある」

永遠にゴールの見えない過酷な価値観。
私はずっと手に入れることだけに執着し、そのために行動を起こすということだけをただただ延々と繰り返していた。
手に入れたものはすぐ私の手のひらから逃げていくようで、手に入ったその瞬間に何の価値も感じられなかった。

そんな矛盾した気持ちを追い払うように、常識にまみれた言葉を懸命に自分に何度も繰り返し、自分の本心や本来の力を必死で押さえ続けていた。

「食べていくためにお金は必要」
「働かざるもの食うべからず」

こんなふうに働き続けることは当たり前になってしまって、そのうちに習慣として残っていた。
そうなるとそれを手放すこともとても難くなりつつあった。

そんな今「お金を稼ぐ」ということについての本質に本気で向き合いたい。
そして一体、この強い恐怖は何なのだろうか…。

その根底にはずっと「お金を稼がない私には生きる価値がない」という感情と向き合いたくなかった…。
今、その感情をじっと、じっと、ただひたすら眺める…。

私はずっと学生時代から誤解していた『自分には価値がない』という恐怖と向き合いたくなかった。
向き合えば、私は死を宣告されるに等しいと信じていたし、だからこそ逃げ回っていた。
本当は誰にでも脈々と流れている確実なエネルギーがあるにも関わらず、だ。
そうするともともと自分に備わっているエネルギーを堰き止める必要があった。
このエネルギーを無視し続け無感覚になる場所が必要だった。
そこで選んだのが会社員。
これが自分の力を奪うには最もふさわしかったのだ。

そのことにハッキリ気づいたのは昨年。

中国で人に教える仕事をし始めた頃は、当然、自信もなく遠慮しがちの私だった。
また、不器用ながらも懸命にもがき、無我夢中だった。
しかしその一方で、学生の頃から人に教えるということに長けていることは自分の身体はしっかりと覚えていたのだった。
初めは自信のない負の力が足をひっぱり私をいじめてきたが、私の長所が使える環境はすぐに楽しいというエネルギーをもたらすようになった。
気づけば、たくさんの経験をし、仕事をどんどんこなすエネルギッシュな自分が顔を出してきた。
それは自分では抑えることのできない不思議なパワーだった。
楽しい気持ちは仕事を続けさせ、そして自分がどんどん解放されていくようだった。
すると、気づけば年間に百人以上を超える社員、入社するほぼ全ての社員と接触する経験に恵まれていた。
そしてその経験は私にまたさらなる自信と成長、そしてたくさんのチャンスを与えてくれた。
その後も様々な日本語に関連する仕事に恵まれ、気づけば千人を越える出会いを引き寄せる自分に成長していた。
自分に適している土壌はとても喜んでいるかのように、私の経験値をすごいスピードで高め、たくさんのチャンスを与えてくれるようになった。
私の手から始まったこのエネルギーが相乗効果のように周囲と溶け合い、どんどん循環され、その循環は拡大して留まるところを知らないようだった。

しかしその内側に宿った正のエネルギーの裏側に、外側からの負のエネルギーも台頭し、段々と力の引っ張り合いがゆっくりと始まっていた。
今まで好きだと思って仕事に専念すればするほど、とてつもない負のパワーに襲われるようになった。
そして、負の感覚が強くなるにつれ、私の拡大していったパワーは怒りのエネルギーとして牙を剥くようになった。
多方面から無責任にそして乱暴に投げつけられてくる仕事の依頼に本当にイライラしていた。
私はイライラすることが増え、毎日愚痴をこぼすようになっていた。
愚痴にエネルギーは吸い取られ、今まであれだけ疲れたことがない仕事がちっとも楽しくなくなってきた。
そして、そのイライラをぶつける矛先のない私は、仕事を何かと押し付けてくる外側にいる人たちを激しく非難するようになっていった。

「この仕事からすぐにでも離れないと、私は中国でもらったこの大切な経験すら全て恨みに変えて終わらせてしまう」

そんな直感と危機感、当初の感謝を忘れないようにと、退職に踏み切った。

でも、今なら分かる。
この搾取される契約書に同意をしサインをしたのは紛れもなくこの私本人だということ。

そしてこの契約書を全て破り捨てた時、
私には力がない、価値がないという呪縛から本当に目を醒ます時が来たのだと。

私の命、私の身体と心と時間は会社は守ってくれないし、そして奪われた時間を彼らはを二度と返してくれない。

そう思って休職した初めの頃、ふと自分の働きをお金に換算してみようと試算してみた。
完全にマネージメント力を身につけいた私には自分の価値を計算することができた。
自分が作成した資料や提供したトレーニングひとつひとつに全て自分で値段を付けてみた。
そして今までトレーニングを提供した人数を残らず数え、経営者になったつもりで試算した。

私は初めて自分で自分の価値を数値化し計算しながら、改めて自分のエネルギーの大きさを実感した。

そこに弾き出された数字。
私にはたった数ヶ月で数千万円の価値を生み出せる力を身につけていたのだ。

嬉しくそして自分に落胆した時だった。

ひとつだけ堂々と言えることと言えば、いつ何時も私はこの仕事に誠心誠意の心を尽くし取り組んできた。
そしてその誠心誠意、心血注いだものは私にとってはかけがえのない作品であり、私の分身でもあった。
そんな分身を本当はどうでもよい会社のものとしてエネルギーを流してしまっていた自分に落胆したのだ。
それをはっきり感じたこの瞬間、この会社員の世界からはキッパリと別れを告げようと決めた。
もうこんな風に、自分で自分自身を傷つける選択はもう二度としたくないのだ。

かといって起業をするだとかそういうことにもどうしても気持ちが向かない…。
会社員や起業、とにかくビジネスやその他一切を脇に置き、そっと自分に尋ねた。

『そもそも、お金を稼いでどうなりたいの?あなたは一体どうありたいの?』

はっきりと答えられない…。
そして本にもどこにも見つからない答え。
私が答えに徹底的に向き合う必要があった。

私はこの問いかけをするうちに、お金という言葉は全く消えてしまっていた。
そうじゃなく、この私のこの手の中にある「みなぎる豊かなエネルギー」をじっと感じている…。
この私の手に宿っているこのエネルギーをどう循環させていくことが最もよいのだろうか…。
そんなことをじっと感じている…。

昨年の結婚をきっかけに、お金を稼ぐというエネルギーを自ら使う必要がなくなっていた。
オーストラリアに到着したばかりの時、この古い固定概念が私をひきずり回し、働けと私をコントロールしようとしたが、もう二度とそれに屈することはない。

今までと違う流れのエネルギーを受け取るタイミングに来ているようだった。
パートナーのおかげもあり、気づけば欲しいものはもうすでに私のエネルギーを注がずとも手に入る状態に変化していた。
今まで苦労して働いてきたからこそ、心からパートナーへありがたさも感じること。
すると仕事や余計なもの一切を手放した私の手には、今まで以上に有りあまるエネルギーが満ち溢れていることに気づいた。
そしてこのエネルギーをよく観察していくと、発散できずに鬱積してたり滞ってしまうと、それはすぐに負のエネルギーとして爆発することも知った。
不完全燃焼に陥った私の傾向は、夫婦喧嘩という負のエネルギーとして発散されるように。
言い換えれば、私にはとにかく膨大なエネルギーがみなぎっていることを身体と経験、観察でやっと実感することができたのだ。
そして、このエネルギーをいつどのようにどこに注ぎ、どう循環させるのかも私の責任であり選択なのだと言われているようだった。

私はそのうち、人がみんな同じように考える方向と全く違うベクトルでエネルギーを注ぎたい。
そう考えるようになった。
すると、こんな素直な気持ちが出てきた。

『自分のために時間をただ思うままに純粋に使い、純粋な形で残したい』

どこまでも純粋でありたい。
その強い気持ちが頭をもたげているのだ。

会社や組織や枠組みや何のフィルターにもかけない、全部取っ払った状態のただ純粋な個の想いを感じ、残したい。
純粋を楽しみ育みたいのだと言っている。

だから、今こうやってブログを書いてるということ自体もとても自由で解放された気分なのだ。
そしてインターネットを通してただ発信している感覚もとても解放的で好きだ。
不特定多数のひとたちに心を込めて手紙を書いてるような純粋な想いだ。

そして自分の作品を一部の限られた場所ではなく、インターネットという世界の共有書庫に置いておけることもただただ本当に嬉しいのだ。

どこまでも、限りなく自由な表現。
今、それを限りなく際限なく追求したいのだ。

それが今の純粋な想いというエネルギーの塊。

この純粋な想いは休職願いを出した時から始まる。
100%自由な時間を無期限で自分に与えることを許可した時だった。

全ての決定権は私にある。
私のエネルギーを費やしたい場所に自由に費やし、自分でコントロールできることはとても心地よく自由な感覚が訪れた。

まずは自分だけの時間を存分に味わった。
そして次にしようと思ったのは妹と母と時間を過ごすことだった。
ただ会いたいからと、それだけでぶらぶらと時間と人に寄り添っていた時間。
するとこの時間が経過してしばらく経った今、気づいたことがあった。
私が自分に時間を注げば注ぐほど、自分に関心を持てば持つほど私の周りにいる大切な人たちも連動して何か変化が起きていた。
そう、目に見えないエネルギーが確実に動いているということを感じたのだ。

たとえば昨年、大きなキャリアチェンジをした旦那は、一年もしないうちに一人で想像もできない大きな成功を収めた。
他にも、子育てで行き詰まっていた妹の元に一ヶ月いた時、彼女の様子や家の中に明らかに動いた空気。
家でいつも叱られ役だった甥っ子を思いっきり褒めると、とても嬉しそうに輝く表情を見せてたこと。
また、数ヶ月母のそばで一緒に過ごしているうちに、不眠症だとあれだけ訴えていた母がよく眠れているようだった。
また、たまたま滞在中に母の緊急手術もあり無事に悪い部分が治ったこと。
他にも、険悪だった父と母の関係がなんだか少し縮まっているような感じ。

どう考えても私の変化のエネルギーが周りにいるひとたちに影響を与えているようだった。

それを感じると私は急に、古くこびりついていた「私には価値がない」という観念が急に外れ、むしろ私は存在しているだけで、大きなエネルギーを発し力強く存在しているいう自分が自分を取り戻したのだった。

さらに感じたのは、私が私として心地よくいればいるほど、私にその愛情を注げば注ぐほど、そのエネルギーが周囲のひとたちにたちに流れているのではないかと気づいた。
こんな「目に見えぬエネルギーの交換」をしているのだと感じたのだ。

そしてこのエネルギーは私だけでなく、ひとりひとりにも存在していて、相互に作用していること。

これがまさしく私の生きている実感だった。

そうすると、私が私であればあるほと、不思議と私の大切にしたい人たちが癒されていく。
そして輝きを取り戻している。
そんな不思議な感覚が広がっていった。

それと同時に巷では、『お金を稼ぐ方法』というほんの一部のエネルギーにばかり関心を寄せるひとたちも浮かび上がってきた。
これが私を長年惑わしてきたトリックだということにも気づいたのだ。

この私が発している、今流れているエネルギーをしっかりと感じ認めること。
そしてこのエネルギーをしっかりと自分の手で牛耳ること。
そうしないと、あるときはこのエネルギーが周りを傷つけてしまうということもあると知り、しっかりと使いこなすこと。
それが今私の最大の関心ごとなのだ。

今は私にエネルギーを向けるためにいつもこんなことをしている。

私が私を心地よくするための食器洗い。
私が私を喜ばせるための掃除。
私が私を気持ちよくするための洗濯。
私が私を気持ちよくするための書く。
私が私を清々しくさせてくれるためのトイレ掃除。
私が私を気持ちよくするための本。
私が自由になれる書くというアクション。

自分が自分であればあるほど、幸せになれる。
自分を解放すればするほど、幸せの循環が拡大すること。
自分らしくあればあるほど、調和のエネルギーがどんどん広がること。

書けば書くほど自分に眠っていた叡智に触れ、作品として残せる。
そのひとつひとつを丁寧に感じれば感じるほど、自分には無限のパワーがあることに気づける。

今やっと豊かな土壌が開拓することができた。

私は今この豊かな土壌で、私のエネルギーを存分に味わいたい。
そして「洞察力」「表現力」という無限の豊かさを得られることももう分かっているのだ。

心の声を聞き、本当に自分にとって価値のあるものが何なのかを見極められる力。
そんな自分を誰よりも繊細に観察し、欲するものをきちんと捉えそして自信を持って選択していく。

自分にふさわしい純粋な想い、人、こと、ものに触れていたいのだ。

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自分にひたすら関心を向け、自分自身の価値を自らの見つけ出せる力をじっと観察してみよう。
そしてふっと湧き出たエネルギーにじっと注目し、この手を動かそう。
そして得られた純粋なエネルギーを存分に楽しんでみよう。

もしかしたら書くことは、感情のエネルギーをどんどんかき混ぜ、選り分け、純粋にしていく大切な工程なのかもしれない。

「私は純粋な愛です。そして私は純粋な光です。」