書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

尊重と自尊心〜Respect〜

『あなたにとってどんな状態であることが自尊心が保たれていると思いますか』

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「敬う」
「尊ぶ」
「尊敬する」
「尊重する」

今日は、相互に絡み合うこの言葉のなぞなぞを、甦ってきた独自性の力を借りて解いてみよう。

この単語を見て、すぐ私の心の引き出しから出てきたのは中国で仕事をしていた頃。

約七年間、私は中国人現地社員と一部の日本人社員へ、敬語などの言語基礎や発音矯正、ビジネスマナーや電話対応のマナーとコミュニケーションスキル、電話対応の録音評価やロールプレイ音声を聞いてのコーチングなど、日本語に関連するあらゆる仕事をこなしてきた。

アメリカ企業だったからか、その役職名は『ソフトスキルトレーナー』と言われていた。
ハードスキルは商品知識について、それに対するソフトスキルとは知識をどのようにお客様にスムーズに伝達するかというコミュニケーションスキル、サービススキルのことを表していた。
個人的にこの名前は結構気に入っている。

この会社ではこの両輪があってこそ、お客様に満足してもらえると考えに基づき、約3ヶ月のトレーニングメニューが体系的に用意されていた。

私が勤めていた会社に入社する中国人はいわゆる「エリート」。
日本人に勝るとも劣らぬ日本語を流暢に操り、論理性や学習能力の高い人材が数多く集まってきた。
日本留学経験が長い人も多く、ジャパンカルチャーも私たち以上に熟知しているとても素晴らしい仲間たちだった。

そんな中、教える立場になりたての私は、きちんと納得してもらえるトレーニングを提供できるのだろうかとプレッシャーも感じていた。

たとえば敬語の講義。
トレーナーになりたての頃は、先輩の講義を見学することからスタートした。
日本にいた頃は何となく学び、何となく使うといったレベルの敬語。
目の前にいる中国人先輩の口からは事細かに、緻密に、寸分の狂いもなく精密な敬語の仕組みを説明をする姿。
本当に圧倒され尊敬した。
そして同時にネイティブスピーカーである私が全くの知識を持たないことを本当に恥ずかしく感じた。
彼女たちは私たちの百倍以上努力し教える立場に立っている。
彼女たちの誇らしく教える姿。
そんな実力の差を見せつけられているようでもあった。
そして努力している彼女たちだからこそ、ネイティブにも負けないという強いライバル心。
トレーナーになりたての私は飲み込みも悪くこんな年下の彼女たちに見くびられていたと思う。
でも言葉に対する揺るぎない自信と関心は持っていた。
私はその時から、彼女たちの口から出てくる解説や、社員から受ける質問ひとつひとつをよく分析し、色んな情報を常にかき集めて自分なりに納得のいく答えを導く日々を黙々とこなした。

これが当たり前に使っていた日本語に対する自尊心を取り戻した経験だった。
外国の人たちが私に教えてくれた大切な日本語への自尊心。
生まれ育って慣れ親しんだ言語。
私の心を最も適切に操ることのできる大好きで奥深い言語。
今もこの日本語を大切に使うことは、私にとって重要な価値観のひとつ。

また、この仕事を続けていくうちに、たまに日本へ戻ると、次は私の中で「逆カルチャーショック」が起こっていた。

コンビニ、ファミレスや今や至るところで蔓延している『ファミコン用語』
いわゆるマニュアル敬語のことだ。

マニュアルに記載されていた誤った敬語を当たり前に使い始めたことからスタートし、それを単に周りが使うからと広がる無感覚さ…。

今日は是非ともこの文章を読んでる人に好奇心で尋ねてみたい。
私がトレーニングで常にみんなへ投げかけていたクイズをジャパニーズネイティブであろうあなたに質問したい。
この日本語は正しいのかどうか。
そしてその理由が何なのかを答えられるのか。
是非とも試してほしい。

1.お名前の方を教えていただけますでしょうか。
2.会社名は○○でございますね?
3.電話番号は○○でよろしかったでしょうか。
4.電話番号は○○になります。
5.500円のお釣りになります。

さて、どうだろう…。
(答えや理由を知りたい人はコメントに残してください)

海外では一生懸命日本語を勉強している人たちが本当に多い。
また、ある国では生きていくために必死に学ぶ人もいる。
そんな彼らを目の前に質問されると想像した時に、堂々とこの説明ができる自分がいるのだろうか。
この問いかけがそのきっかけになればよいなと思っている。

言葉という日常にも浮かび上がってにた「当たり前」や「無感覚」。

敬語の本来の意味が全く教えられないまま、即席の『マニュアル敬語』が広まったのはなぜだろう。
それは裏側の意味を考える時間を省き、スピード重視で敬語を丸暗記させた方法にあるのだろう。
ファミレス、コンビニ、ファーストフード。
どこもスピード、効率で動く世界。
効率よく書かれたと思っていたマニュアルが誤っていることもスピード重視で気づかず、速読のように覚え、ロボットのように誤った言葉を毎日呪文のように唱え続ける。
次第に暗示にかかったようにこの血の通わない言葉が正しいと思う人がどんどん生産されていく現状…。

ここでもまた、当たり前が蔓延していることを肌で感じた日常の一コマ。

言葉もまた、始まりは人の心がまず先にあったはず。
私たちの身体に血が流れているように。
その心を表そうと言葉が存在していたはずだ。

それは何気なく言葉にする一言の挨拶からもすぐに辿り着くことができる。

『ありがとうございます』
有難い。
そうあることが難しい。
そうあることが滅多にない。
とても貴重なこの瞬間への感謝の一言。

『いただきます』
自然からの栄養を、そして色んな人からの誠意やこころをもらったことに対する敬意。

『ごちそうさまでした』
私が生きるためにもらったたくさんの食べ物や色んな人たちの心遣いへの敬意。

この日本語の奥底に脈々と流れている美しいこころ。
この素晴らしい血流をもう呼び戻し生きていたい。
そんな想いもあり、海外にいる今、旦那と一緒に食事をするとき、この日本語を教えながら一緒に口に出して食べている。
こんな言葉に込められた心を外国人の旦那に伝えることも私にとっては日本語に対する自尊心からなのだ。

そして、不思議なことに、毎日こうしているうちに、目の前にある食べ物の存在がより強く感じ、とてもおいしく感じるのだ。
言葉の力は日々使うからこそ、そのパワーは計り知れないと実感している。

そしてもうひとつの自尊心に関する話。
中国生活の中で私の心がシフトしするに連れて見えた二つの世界。

ひとつの世界は、会えば必ずお酒を酔っ払うまで飲むというコミュニケーションと人間関係だった。
その場でお酒を飲まないことは相手を尊重していない、という確固たる価値観の世界。
過去にお酒もよく飲む私はウケがよく、この世界にも自然と馴染んでいた。

しかし、時間とともに変化する私個人への身体への関心、自分を大切にするという心が芽生えると同時に、周囲の風景がガラッと変わる体験をした。

従来のように楽しめない自分。
自分の身体を痛めつけてまで飲むお酒に対し、とても疑問に感じるようになっていた。
でも従来の誘いを断れない自分とのジレンマ。
徐々に私は彼らを避けるようになっていた。
まるで身体もこころも完全に危険信号を送っているようだった。
すると、今まで和気あいあいと楽しんでいた愉快な人たちが、突然お酒を強要する疎ましい人間に見えるようになった。
そう、彼らが変わったのではなかった。
この私の心が変化していたのだ…。

そんな変化の最中、人間関係は真っ二つに割れた。
私の考えを言った途端、断固として私の選択を認めない人やよく思わない人たち。
そして、この私の選択をしっかりとよく聞き、受け入れてくれた人たちだった。

私にとって依然大切に想っているのは後者であることは言うまでもない。
そして前者の人たちとは無言のお別れを告げた。

この経験で分かったこと。
国は全く関係ない。
フタを開けてみれば、どの国にいようと、どの国の人だろうが、その個人の考えをよく聞き尊重してくれるひとと、それを許さない人が存在しているだけだった…。

自分の犠牲にしてまで集団の声を優先し尽くす世界に留まりたいのか。
それとも自分の身体と心の声を優先し自分に尽くす世界にいるのか。
私に用意されているのは、この世界たちの選択の連続であることを知った。

言語から見える世界も全く同じだった。

敬語は、ある時はお客様や外にいる人たちを過剰に上に扱うようなニュアンスがあり、より上下関係を強化するための道具として使われているようにも感じていた。

でも果たしてこれが本当に尊重していることなのだろうか…。
一体、何が本当に尊重なのかをきちんと知りたい。

尊重はひとりひとり個人の人格を尊ぶこと。
人格とは、その人がその時に考えている価値観に基づいた振る舞いそして選択のこと。
いい悪いという判断は相手の選択を否定することだ。
それを言ってしまうことは自分も否定される可能性があるということでもある。
だからいい悪いは必要ない。
ただ個人の考えに基づき自分なりの選択をしたのだとただ受け止める。

「私にも彼にもどちらにも許す」

私にも彼にもそれぞれ与えられている大切な権利。
決してどちらかをねじふせることはないフラットな状態。

昔の私の世界には独立した個をずっと軽視し続けてしまっていた。
これからは、見殺しにしていた個人としての自分の居場所をしっかりと私の手で確保する。

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ひとりひとりにきちんと用意されている光のある居場所。
今、私の身体の中の血がゆっくりと通い始め、感覚が甦ってきている。